企画・連載行雲流水
2014年3月20日(木)8:50
「春分の日」(行雲流水)
3月21日は春分の日。国民の祝日に関する法律(祝日法)では「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」となっているが、いま一つピンとこない。むしろ、「暑さ寒さも彼岸まで」の〝彼岸〟がなじみ深い
▼天文学上の春分は、昼と夜の長さが同じになる日とされているが、厳密には昼が少し長いようだ。太陽が真東から昇り真西に沈む日だとも聞かされてきたが、実際はどうだろうか
▼仏教界では、春分の日をはさんで7日間の「彼岸会」(ひがんえ)が行われる。庶民は、その中日を「彼岸」と称して墓参りをする習慣があった。宮古の方言でいう「ぴ(スに丸)んがん」だ
▼浄土思想によれば、日が沈む西方に極楽浄土があるという。そこは煩悩を脱して悟りを開いた境地、すなわち「彼岸」だ。ひらたく言えば、あの世だ。対する現実の「此の世」は煩悩や迷いに満ちた「此岸」(しがん)だと説く。その上で、真西の方角に太陽が沈む日が「彼岸」に最も近づく日だと教えた。たしかに、公休日にする理由にはなりにくそうだ
▼ところが、春分の日と対をなす秋分の日については、祝日法は「祖先を敬い、亡くなった人々をしのぶ日」としている。春分の日の意味づけに比べると、このほうが庶民感覚に近い
▼祝日法で掲げる春分の日の意味づけは、木(古い習慣)に竹(新しい考え)を接いだような感じがする。しかし新しい世代は、これを歴史の進化だと捉える。この違いは、ものの見方・考え方の微妙なズレを示す一例に過ぎない。「とかくに人の世は住みにくい」(漱石)を思わざるを得ない。(柳)