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人生雑感
2014年3月31日(月)8:55

「悲しみは、人の心に優しさを与え、人を魅力ある人格者に育てる」

沖縄国際大学名誉教授 福里盛雄


1 人の優しさと人格はその人の心の悲しみがつくり出す

 小林一茶は、「やせがえる負けるな一茶これにあり」。「われと来て遊べや親のないすずめ」の俳句を残した江戸後期の有名な俳人である。彼は、俳人として名を後世の人々に知られる反面、不幸で孤独な悲しみの人であったと言えるのではないでしょうか。彼は農家の長男として生まれましたが、3歳のとき、母親が死去し、14歳のとき、最愛の祖母とも死別する。15歳で江戸に出て俳句を始めました。50歳で故郷に帰り結婚し、4人の子供をつくるが、生まれた4人の子と妻も死去します。62歳で再婚するが離婚、64歳で3度目の結婚をするが、翌年大火災で自宅が類焼し、焼け残りの蔵で仮住居をします。そして、まもなく65歳で死亡しました(三浦綾子「100の希望155頁」参照)。

 一茶の生涯は、悲しみを背負って生まれてきたようにさえ感じられます。彼の作った俳句を拝読すると、彼の体験した悲しみが、彼の心細かい優しい俳句の背景になっているのではないか、という感がします。悲しみは、人の心を優しさと感受性で包みこむのです。
 画・詩家星野富弘氏は、次のような詩を書いています。

 よろこびが集まったよりも
 悲しみが集まった方が
 しあわせに近いような気がする
 強いものが集まったよりも
 弱いものが集まった方が
 真実に近いような気がする
 しあわせが集まったより
 ふしあわせが集まった方が
 愛に近いような気がする

2 人の悲しみは、その人の心を優しく豊かにし、忍耐力で満たします

 一茶も星野富弘氏も共通しているところは、二人とも他人からは、悲しみの人と感じられたと思います。しかし、二人とも、自分に襲いかかる悲しみ、困難を自分の潜在能力の実現の原動力に転換し、一方は俳人に、他方は画詩家として有名な地位を獲得しました。
 人生には、次から次と押し寄せる波のように、悲しみや困難が起きます。「もうおれの人生は終わりだ」と絶望し、人生の終わりの扉を降ろしてしまう人がいます。
 しかし、そのような悲しみ、困難な状況を乗り越えた後に、その人の特徴は発揮されるのです。朝の来ない夜はありません。人生に悲しみや困難が存在するのは、ただ無意味に存在しているのではありません。鉄が真の強靱な鉄棒になるために、高熱の炉の中を通る必要があるのと同じです。
 私たち人間は、悲しみや困難を通らなければ、その意味を理解できない弱い存在です。ですから、私たちを創造した創造者は、私たちを世の悲しみと困難に遭遇させるのです。本当の悲しみと困難に遭遇することによって、それらに耐えて生きていく忍耐力を養い、その忍耐力が練られた品性をつくりだすのです。練られた品性の人は、人生を豊かに生きる希望に満ちあふれています。そのような人は、どんなことに従事しても、その責任を全うし、確実に成功することでしょう。私たちは、悲しみや困難を避けるのではなく、「怒りの子は、滅ぶが、悲しみの子は滅びない」という考えを、人生の道しるべにしたい。

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