行雲流水
2014年4月12日(土)8:55
「小麦の収穫祭」(行雲流水)
4月6日「来間島で小麦の収穫祭があった」と人づてに聞いた。「麦の収穫」の響きに遠い昔が呼び覚まされる。冷たい北風とそぼ降る小雨の中のサトウキビ刈りを終え、さわやかな東風の中での麦刈りといった農作業がめぐりくる季節と一つになる。木々の新芽は勢いづき、人も晴れやかになる季節だ
▼そういう時期に収穫される麦が宮古島で栽培されるようになったのはいつの頃か定かでないが、1958年には反収量を競うほどであった。麦麹で造られるみそは生活に欠かせないものであり、その蓄えは豊かさの尺度であった
▼宮古島で栽培された穀類は麦のほかに米や粟、大豆など豆類があったが、今では特定の学校での稲栽培、限られた神事のための粟づくりのほかは目にすることもなく、畑で大豆を見ることもない。辛うじながらも栽培されている米や粟のあるなかで絶えてしまったと思っていた麦の収穫の話に心ひかれた
▼来間の人たちが麦を育てるきっかけは何であったかも気になったが、収穫祭のあいさつ文に「島おこしの取り組みの一つ」だと答えている。NPO法人ウムヤス来間島が年月をかけて手がけてきた麦づくりであることが分かった
▼ウムヤス来間島は、今回の催しを契機に「地域の活力を取り戻したい」とその意気込みを語る。かなりの気負いを感ずるが取り組む課題は島にとって大切なことだ
▼島を離れた人たちが戻ることはないと思えるし、残った人たちは高齢になって活気を無くしていくことをウムヤス来間島は憂いる。島に立ち上がったNPO法人の切実な思いが「小麦の収穫祭」に込められていたのだ。