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私見公論
2014年6月13日(金)8:55

池間島を元気な島にするために/長嶺 巖

「木を見て森を見ず」からの発想の転換④
私見公論98

 財政破綻前夜生き残りに向けて立ち上がった離島の町島根県隠岐郡海士町の奇跡の復活の記録が小冊子として出版された。その題名は「離島発生き残るための10の戦略」海士町長山内道雄著である。

 日本海に浮かぶ隠岐郡中之島は周囲33㌔1島1町の海士町の人口は昭和25年の7000人をピークに減り続け平成17年には2500人までに減少し、過疎化、少子化、高齢化が進んでいった。特に日本の高度経済成長期に若年層の都市への流出が顕著に進んだ。これは島に働く場所、産業といえるものが少なかったと述べている。

 財政破綻を目前に平成14年市町村合併「平成の大合併」の嵐が吹き荒れる中で海士町は合併しないで独自の道を歩むことを決めた。合併しない理由は、公共事業によるハードの整備中心から、島が自立するための産業振興へと町制の流れを転換することで島の活性化を図ることであった。

 海を隔てた離島の離島をどうやって再生させるか。戦略のキーワードは「島まるごとブランド化」キーワードは外貨獲得、島が持っている宝物をまるごと売り出す「海士デパートメント構想」を立ち上げ、島の美しい風景、豊富な海産物、農産物、畜産物などを全国に発信することであった。

 島の産物を島で消費する「地産地消」だけでなく、観光客に海士町のおいしい農産物、海産物を食べてもらうと同時に、島の産物を外に持って行って買ってもらうために産業振興課を「地産地商課」に変え、役場の職員が全国を飛び回って宝物を販売するセールスマンになる使命を担った。豊富な海産物に恵まれながら漁港に水揚げされた魚介類は生もので本土の市場へ5時間かけてフェリーで運んでいたため鮮度が落ちてしまい輸送コストが高く利益があまり出なかった。そこで目をつけたのがCAS(瞬間冷凍装置)を5億円で導入しイカ類、イワガキ、魚類を凍結して大手の外食産業や大都市のスーパーに出荷すると飛ぶように高値で売れた。「ふるさと海士」が海産物を買い取り加工販売するようになって漁業者の経営は安定し、若いUターン組、Iターン組も島で働く場所が増え少子化に歯止めがかかった。

 さて、海士町の取り組みを紹介したが、池間島はどうだろうか。昭和30年代の池間島は人口2500人カツオ漁業が隆盛の時期で(カツオ釣り1次産業)×(カツオ節加工2次産業)×(流通3次産業)今はやりの6次産業いわゆる労働集約型の産業として池間島を支えてきた。しかし、百年続いたカツオ漁業も平成17年を最後に途絶えてしまい島の活気が失われて人口、労働力も減少していった。現在の人口は672人、そのうち65歳以上の高齢者は307人と人口が減り続けている。

 そこで、私たち池間漁協はどん底まで落ちた島の漁業再生に向けて、海士町の事例を参考にしながら①水産業の見直し②流通の改善③後継者の育成の3本柱の戦略を立てた。

 ①島の北側ミシバイ地先に設定した特定区画漁業権を活用して2年前から5経営体でモズク養殖に取り組んだ。幸い漁場環境に恵まれたこともあり、昨年は125㌧の生産実績をあげることができた。また、前組合長当時に整備した冷凍庫を活用して生冷凍モズクを本土の加工業者に出荷したところ品質面で好評価を頂き、今期は150㌧の要望があった。まさに外貨獲得の戦略に当てはまった。

 ②流通体制の改善では深海一本釣で獲れるマチ類、タイ類、ハタ類等の高級魚をブランド化するため、行政と連携して魚の鮮度保持技術「活けシメ講習会」を開催し、漁民の意識改革に取り組んだ結果8割の漁業者が魚の血抜き、殺し、延髄抜き等シメ魚の処理を行っておりブランド化に向けた取り組みを実践している。今後は、常設の朝市、夕市を開催し池間島のおいしい魚をPRしていく計画である。

 ③後継者育成では2名の若手漁業者が参入したが、まだ大きな成果をあげるまでには至っていない。私たちの取り組みは緒についたばかりであるが、宝物を発掘し自慢できるものを発信することが島の活性化につながるものだと確信する。

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