行雲流水
2014年7月12日(土)8:55
「西里通り」(行雲流水)
「フクミネユマタからオオミジャまで」と言って、唐突に何のことかと思われても仕方がない。ひと世代前の人たちなら西里通りのことだとすぐに分かるであろうが、今の世代の人たちにはピンとこないのではないか
▼旧平良市街地は東西に延びる西里通りと下里通りの2本の商店街と南北に走る市場通りでにぎわっていたものだが、市街地から離れたところに広い駐車場を備えた大型のマーケットが建つようになって人通りが急激に少なくなってしまった
▼車社会の到来で道幅の狭い商店街から広い駐車場のあるマーケットに人がむいてしまったのだ。人の足が一度遠のいてしまうと商店街は一気にさびしくなるものだ
▼中心市街地活性化の論議がひところ盛んになされたが、結局道路の拡幅といったハード事業が先行してしまった。下里、市場通り商店街の消滅である。しかし道路拡幅事業から外された西里通りの商店は姿を変えながらも通りの中で息づいている
▼フクミネユマタからオオミジャまでの通りが先週アスファルト舗装された。先日、そのアスファルトの道を歩いた。東の福嶺医院の建物と看板はまだ残されているし、途中の金物屋、レストラン、おみやげ店といった昔の姿の店がホテルや居酒屋と共に健在だが、市場通りの起点でもあった西の大見謝商店、やまこ百貨店は今はない
▼真栄城徳松という男がいた。伝説になってしまったが、彼は若かった頃西里通りにすずらん燈を設置したいと奔走した。戦後の貧しかった頃である。歩きやすくなった西里通りだ、すずらん燈でなくてもいいから安らぎをもたらしてくれる何かがほしい。そう思うのは私だけだろうか。