行雲流水
2014年8月12日(火)8:55
「お盆」(行雲流水)
お盆も終わり、帰省していた人と、帰りを見送る人と、その交歓で空港はにぎわっていた
▼お盆には、先祖の御霊を迎えて供養、故人を偲びつつ、延々と連なる命の尊さに思いをはせ、生かされてあることに感謝する
▼各地では盆踊りをはじめいろいろな行事が行われる。沖縄本島のエイサーや八重山のアンガマ、徳島の阿波踊りも、供養の意味を秘めつつも、楽しみのなかで親族や地域の結束を固め、地域特有の文化を生み出している。『古都逍遙(しょうよう)』はうたう「夢、まぼろしか祇園会は/濁世(じょくせ)の闇にあかあかと/御霊を送る大文字/哀れゆかしき古都の夏」
▼死後の世界に対するイメージや信仰心は人それぞれである。孔子は弟子の季路に答えて言った、「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」。孔子は人知を超えた存在を否定も肯定もしていない
▼一方で、ヒトはネオンデルタールや初期のホモサピエンスの時代から死者を埋葬し、花を手向けている。メーテルリンクの『青い鳥』では、生きている人が思い出すことで死者はあの世で目を覚ます。死者のことを思うことが、死者との結びつきを強めるという考えである。お盆をまつる心とどこか通じている。そこには、永遠の命を得たいという根源的な欲求が根底にあるのだろうか
▼お盆を行う心情は農耕民族らしい和の文化を基底に持っていて、排他的でなく、寛容に、厳しい戒律や教義を持つ宗教とさえ共存している。多様な価値を理解し、尊重しあうことが、特に、今の世界には必要である。