行雲流水
2014年8月23日(土)8:55
「報道」(行雲流水)
日頃接しているテレビや新聞の映像や記事に対して、なんの疑いを持つこともなくそのまま受け入れてしまっているのがほとんどの人たちだろう。新聞やテレビは嘘を言わないと思い込んでしまっているのである。「新聞にそう書いてあった」「テレビでそう言っていた」と言われると反論の仕様もない
▼これは普通の人たちのメディアに対する絶対ともいえる信頼があるからだ。一般の人の信頼をさらに深める手立てに専門家や知識人とか言われる人々の言葉を多用するのもメディアだし、体験談を語らすことによって真実であることを強調するのもメディアの手法だ
▼ある出来事に対して取材記者個人のとらえ方、考え方を基に情報として発信することは表現・思想の自由という意味でこの上ないことだ。しかし、発表した情報が一つの思想・一つの意見に偏っていた場合、社会に及ぼす影響は計り知れないものになる
▼情報をメディアに頼る一般の人々にとって、その情報がテレビ局あるいは新聞社の偏った考えに基づいて編成・編集されたものであっても情報を受ける側としては信じて頼ったものであるが故に容易に断ち切れるものではない
▼8月5・6日付の朝日新聞の「慰安婦問題を考える」特集記事は文字通り情報提供者・メディアの在り方を考えさせられた
▼メディアの提供する情報には偏り、嘘、誇張、間違いがあるものだということを思い知らされた特集記事であった。メディア情報の目的、内容、情報の背景を的確に読み取る努力が私たちに求められているのではないか。「情報を評価しその是非を問う能力」を身につけたいものだ。