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行雲流水
2014年8月26日(火)8:55

「最後の沖縄県知事」(行雲流水)

 夏の風物詩・全国高等学校野球選手権大会は連日熱戦を展開、高校球児たちの華麗なプレーは多くの国民に楽しみと感動を与えた

▼さて、第三高等学校に島田叡(あきら)という野球の名手がいた。野球部では「叡さんのすべり込み」という言葉があった。盗塁の判断が特に優れていたからである。また「彼をつくり上げたものは野球であり、鍛えたフェアなスポーツ精神は彼の一生を貫き通した」とも、チームメイトだった中野好夫氏は書いている

▼彼は三高、東大法学部を経て、官僚になるが、仲間からは、「下にはいいが、上には所信を曲げず、杓子定規やセクト主義を嫌った」。「気さくで、それでいて、妙に芯の強い叡さん、天衣無縫で人間味あふれる叡さん」などと評された

▼この島田叡氏は敗戦前の最後の沖縄県知事として、昭和20年1月に任命された。当時、沖縄への米軍進攻は時間の問題で、地上戦になると、県民に多くの犠牲者が出ることが確実な情勢にあった。沖縄に行くのは死にに行くようなものだと周囲は反対したが、彼はあえて着任した

▼島田知事が最初に着手したことは、老幼婦女子の緊急避難と県民の食糧確保であった。着任した翌月には台湾に行き、台湾米確保の折衝を行っている。県民のおかれている状況を考慮、警察部長に風紀の取り締まりをやめさせ、禁止されていた村芝居の復活を認め、可能な限り生きのびるよう県民に語った

▼彼の高潔な人間性を敬慕していた元県職員が中心になって建立された「島守の塔」に島田叡知事の霊は祭られている。

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