行雲流水
2014年9月9日(火)8:55
「操作人間」(行雲流水)
パソコンを必要最小限度に使用している。まずは、パソコンは文章の作成、保存に便利である。原稿用紙に向かうのに比べて、語句を加除して文章を推敲(すいこう)することが容易だし、きれいな印刷文字でプリントが仕上がる
▼インターネットでは各種の情報を手に入れることができる。しかし、情報はそれこそ玉石混交で、図書館で膨大な図書から、適切な図書を選んで読むようなもので、情報の真実性は保障されないことを実感する
▼電子メールでは、文章だけでなく、画像のやりとりが簡単にできる。送信されてきた孫の写真を受信、プリントして楽しむことができる
▼このような多様な機能を持つパソコンだが、先日、急に故障、使用できなくなった。故障してみると、自分では手も足も出ない。機能のシステムをなんら理解することなく、ただ操作するだけでパソコンで展開される世界に対応していることを改めて意識させられた
▼考えてみれば、スイッチやチャンネルを操作するだけで、私たちはテレビの提供する多様な環境に身を置くことができるし、羽もないのに飛行機で空を飛んで外国に行くこともできる。かように現代人は人工環境の中で生活している
▼そのことで生活が便利になる反面、それが高じると人は「操作人間」になると現代の社会心理学は警告する。現実の人間の重みにも複雑な社会の本質にも深く関わることができず、無意識のうちに、自分自身も他人も軽く操作できる存在だという感覚の精神構造になるというものである。