行雲流水
2015年5月26日(火)8:55
「ふるさと的なもの」(行雲流水)
今日、伝達手段や交通機関は便利になったが、日常生活の煩雑さもあって、人間関係やふるさとへの想いを温めることは、意外にむつかしい。そうした中でも、伊良部架橋を機会に、多くの個人や団体が故郷・宮古を訪れている
▼先日、沖縄本島在住の同期生一行が来島、地元の仲間と伊良部観光や懇親会、パーク・ゴルフを楽しみ、親交を深めた。宮古の印象については、来島者の多くが、その変容に驚くとともに、一抹の寂しさを感ずるということであった
▼確かに、新しい一本の道路ができると、街のたたずまいは一変する。時が経てば、住む人も変わる。でも、ふるさとはふるさとである。戦争前後の食糧難の時代には、苦労して子育てをする親の姿があった。小学校では、正解すると先生から大きな丸をもらった。水泳は海が教えた。高校生時代、運動会の練習のとき、見上げる空ではタカ(サシバ)が群舞していた。要するに、記憶に残る瞬間の総体が「ふるさと」である
▼それにしても、同期生というのは不思議な人間関係で結ばれている。同期生というだけで親しみを感ずるし、長いこと会わなくても、いつも会っているような、会えるような気持ちになる
▼高校時代は心身が飛躍的に発達を遂げ、自我に目覚め、友情が結ばれ、異性への関心が芽生える。この、多感な時代に生まれた感性は、他者への懐かしさの原点として、複雑な社会で生きる時にも、他者との連帯を支え続けるのではないか
▼「ふるさと的なもの」を根源的な価値として、大切にしたい。