行雲流水
2015年11月10日(火)9:01
【行雲流水】「医療界の名家―松氏・福嶺家」
天然痘は、伝染力が非常に強く、不治の病・悪魔の病気と紀元前より恐れられていた。その予防には患者の膿を健康体に接種して免疫を得る「人痘法」が古くから行われていたが、1798年、ジェンナーが開発した、安全性の高い種痘(牛痘法)の普及により、罹患者は次第に減少、1980年、世界保健機構(WHO)は、その根絶を宣言した
▼ところで、この天然痘治療にゆかりの深い家系が、琉球新報の文化欄に「医療人を輩出する名家」として紹介されていた。他の資料とあわせて、福嶺家を中心に調べてみた
▼琉球では、金城紀嘉(1716~1782)が、泊村での献身的な天然痘治療の功により首里王府より新家譜を授けられ、士族に取り立てられた。「松氏」の誕生である。第2代は長嶺紀昌で、卓越した医療活動により王府より豊見城間切長嶺の名島(称号と姓)を賜り、長嶺親雲上と称される。宮古の詰医者としても勤めている
▼第3代は仲地紀仁で、宣教師ベッテルハイムから牛痘種痘法を学び、日本本土に先がけて1848年、琉球で初めて牛痘種痘を施している。1968年には、牛痘種痘実施120年を記念して琉球切手が発行され、紀仁の顕彰碑が護国寺に建立された
▼福嶺紀仁は仲地紀仁の三男・紀恵の孫にあたる。第6代紀仁と第7代紀功は、医師仲間たちとともに、戦後宮古の医療を支え、守ってきた。第8代は紀隆。東京都八王子市で産婦人科医院を開いている
▼何世代にもわたって、医療に携わってきた一統の功績は重く、尊い。