行雲流水
2016年3月10日(木)9:01
【行雲流水】気脈
東京で活躍している郷土出身の弁護士宮里邦雄氏の話を聞く機会があった。講演会で全国を飛びまわる忙しさのなかでも沖縄を忘れてはいなかった
▼講演会主催者へ渡す履歴書の学歴は最終学歴でこと足りるはずだが、同氏は「昭和33年 沖縄県立(琉球政府立)宮古高等学校卒業」から始めるという
▼沖縄が米軍の施政下にあったことを知らない若者が増えているからだ。案の定というべきか、先方は「琉球政府立」に目をとめる。日本には政府が二つあったのか? 沖縄や宮古の戦後史を語る糸口になっているという。講師紹介でこのことに触れたら、それを奇貨として本題に入る前に沖縄問題をアピールしているとのこと
▼身は東京にあっても、日頃の活動のなかで私設〝沖縄大使〟の役割を果たしていることに感服した。地元沖縄では「本土マスコミや国民は沖縄に関心が薄い」などと文句がましいが、同氏は自分の守備範囲で着実にアピールしている。そのさわやかな人柄と情理をつくした講話は、聴く人の共感を呼んでいるにちがいない
▼「人知れず」あるいは「さりげなく」は、同氏の生き方の美学かもしれない。少年期を過ごした宮古で育まれた気風だと思いたい。短絡的で騒々しく感じられる世相の中にあっても、今も宮古の児童生徒たちは読書にいそしみ、知性と感性を磨いていることでしょう
▼折から辺野古訴訟和解が成立し、仕切り直しとなった。本来あるべき行政と裁判の姿に立ち戻り、後世の批判に耐えうる結論を導き出すための第一歩だ。