行雲流水
2016年8月20日(土)9:01
【行雲流水】(ストゥガツ)
ストゥガツも終わった。こころに残るものもなくいつものようにただの行事で終わってしまった。そう感じるのは心の持ち方のせいだろうか。カンダナの供え物の豪華なことがよけいに虚しい
▼ストゥガツの準備は旧暦七夕のお墓の雑草取りから始まる。それには分家や縁者が動員されての総出の作業だ。きれいになったお墓に形ばかりの供え物に酒を添えてストゥガツを先祖に伝える
▼昭和25年頃まで先祖の霊を迎える日は十三夜の月が昇りくるまえ、昼と夜の狭間にトゥビャスに火をつけて門口に立てた。樹脂を含む松の木の根からとれる琥珀(こはく)色のトゥビャスのチロチロ燃える小さな炎は月が昇りくるまでに燃え尽きる
▼そのころまでに親族・縁者、その子供たちも集まって、頃合いを見て「シュウコウ」の声がかかると全員が神棚に向かって手を合わせる。カンダナにはグシャンブー〓(〓はキに○)が両脇に置かれあとの供え物はアダンの実、バンチキロウやユ。スガマといった野山の恵みだった。神棚の前に据えられたちゃぶ台には現世の馳走が供えられ人と霊が共有するが、霊にはヤスノパ〓(〓はキに○)の箸が準備された
▼今時は、カンダナとは言わず仏壇といい、供え物は商業ベースで準備されたものが重宝がられ地元の物は影をひそめた。迎え火が焚かれることもなく、個々別々に仏壇に手を合わせるだけの人々が実家に集まってくる。メディアはそれを里帰りといって大きな話題にする。本来、無縁の交通機関の混雑がストゥガツの話題だ
▼車が無かったころ送り日に「アダンアース」といって東西に分かれた子供たちが路上でアダンの実を投げ合うこともあったようだが今ではすっかり忘れられている。