【人生雑感】今の社会が、不安で住みにくいのは、自己中心性の人が多いからである
沖縄国際大学名誉教授 福里盛雄
自己中心性の人の多い社会は、なぜ、住みにくいのか。
自己中心的な人は、自己の考え、利益を基準に物事を判断します。他人に迷惑になろうが、不利益になろうが、関係なしです。個人だけではなく、国も自国の利益のみに関心を持つ国が出てくると、世界の平和が維持できなくなります。自己中心的な人は、自分の行為を正当化するために常に自己防衛、言い訳をします。
自己中心性の強い人と同居して生活することは、大変苦労を要します。そのために疲れてしまい、その人から離れていきます。ついにそのような人は孤独になり、他人から疎外されます。ここに自己中心性の人について、一つの例話がありますので、紹介しましょう。
ハロルド・フィケットという有名な作家は、その文章の中で、自己中心性について次のように見事に適切に描写しています。
「おかしくはないか
他の人があることをするのに長い時間がかかると
あいつはのろまだと言い 自分の場合は慎重だと言う
他人が言われないことを勝手にすると
あいつはでしゃばりだと言い 自分の場合は積極的だと言う
他人が自分の意見を強く主張すると
あいつは頑固だと言い 自分の場合はしっかりしていると言う
他の人が少しエチケットを破ると
礼儀知らずだと言い 自分の場合は個性的だと言う
他の人が上役の気に入るようなことをすると
ごますりだと言い 自分の場合は協力的だと言う」〈柏木哲夫・良き生と良き死〉23-24㌻より転載(いのちのことば社)
この詩によると、自己中心性の強い人は、他人の行為に対して素直にその行為を評価しないで言い訳を繰り返す習性を持っています。
自己中心的人は、他人と連帯し、協調して物事をなすことが大変難しいと考えます。
自己中心的人は、常に防衛的であり、言い訳を繰り返すのです。また、他のことに無関心であり、自分と利害関係のあることにしか関心を示さないのです。
私たちは、他人の行為に対して偏見的にならないで、常に公平に正しく評価しなければなりません。そのためには、自己の内部に巣くっている自己中心性という習性から清められなければなりません。自分の内部が自己中心性という習性に占められている限り、他人の行為に対して、正しい判断をすることは、不可能と言わなければなりません。人間は、自分の内部の目が清ければ、外部のものも美しく見えるものです。
私たちは、他人の行為を、美しく、正当に、公平に評価する習慣を身につけ、人生を実り豊かに過ごすことによって、幸せな人生を送りたいものです。それによって疎外感を抱くことなく、多くの仲間に取り囲まれ、「わが人生、思い残すことなし」と、人生の最後の幕を下ろすことが確実に実現します。自己中心性を改善するだけで、人生のドラマが良い方向に回転するのです。社会生活が住みにくいのは、私たちの内部の精神の善し悪しがその根本的要因であると理解できました。ですから、人間教育は、心を豊かにする教育が最優先されなければなりません。