行雲流水
2016年10月20日(木)9:01
【行雲流水】(経世済民)
沖縄には「物食(むぬく)ゆすどぅ我(わ)が御主(うしゅう)」との言い伝えがある。これを単純に「乞食根性」だと批判する向きがあるが、どうだろうか。真意は深いのでは
▼封建社会では、良い領主とは領民の生活を安堵する領主のことだった。領民の側からみると冒頭の言葉になり、ときには反乱や逃亡の根拠ともなった。蔡温が高く評価される由縁は、領民の生活を豊かにする方策を編み出したからであろう
▼蔡温の遺産は、昭和30年代まで宮古にも残っていた。古い屋敷には台風よけのフクギがあり、生活用具の製作材料として竹、マーニ、クバ、シュロが植わっていた。実際に、その恩恵に浴した記憶もある
▼商品流通経済の発達に伴って自給自足体制は崩壊したが、冒頭の言葉は残った。終戦直後の沖縄民謡で「唐(とう)ぬ世(ゆう)から大和(やまとぅ)ぬ世、大和ぬ世からアメリカ世」と歌う中で、〝命どぅ宝〟とともに通奏低音として残った
▼歴史をふりかえれば、中国の易姓革命、日本の荘園制度崩壊・武士の台頭なども食を求めた離合集散だったとみることもできる。沖縄では、明治以降「いざゆかん、吾等が家は五大州」(当山久三)と海外雄飛。来週、その子孫たちが沖縄に集い「世界のウチナーンチュ大会」が開かれる
▼経済とは経世済民の略語。昔も今も、庶民のくらしを豊かにすることが世の中に安定感をもたらすことに変わりはない。経済をないがしろにしてはならないことは為政者の心得だ。働き口を増やし、持続可能にするための生産性向上を図る-その智恵は普段の雰囲気のなかにあるのでは。