行雲流水
2016年10月29日(土)9:01
【行雲流水】(観光の島)
宮古島は昔から豊かな島ではなかった。毎年のように繰り返される台風と干ばつに苦しめられたばかりではなく首里王朝への貢納は過酷を極めた。昭和になって大東亜戦争が終わっても多くの農家は小作のままであったし、米国軍政下の庶民のくらしは相変わらず貧しかった
▼祖国復帰によってようやく社会制度や経済基盤が整備されて日常の暮らしは楽になった。いま、宮古島は繁栄の盛りにあるのではないかと思えるほどに人の往来も激しくなった。しかし、宮古島のこの賑わいはいつまで続くのだろうかとふと思ったりする
▼島の行政を任された者がこの賑わいを持続させたい、あるいはもっと賑やかにしたいとさまざまな事業を手掛けるのも結構なことだが、一気に大規模なハード事業やソフト事業を推し進めるのは急ぎすぎではないかと思っている
▼行政が事を運ぶのに大雑把になっているのではないかと思えるのだ。大勢の人を呼び込むための施設を造り、イベントを開催して島の経済を活発にする。この発想はそれなりに大切なことだがそのための手続きが杜撰だったりしたのでは決して褒められることではない
▼新聞紙上をにぎわした「観光プロモーション事業」とは何のことですか。市の担当職員はこの事業についてきちんとした説明を市民に向かってできるだろうか。東京のテレビ局が主催する事業だからそこに参加することで宮古島の観光客誘致の力になる、それだけの理由で多額の費用を投資したのであればいささか軽薄と言わざるを得ない
▼そのうえ資金の運用を委託したとされる団体の責任の所在さえ定かでないとすると行政は、その責任の無さをとがめられても仕方がない。