行雲流水
2016年11月26日(土)9:01
【行雲流水】(名倉談義)
宮古島の変わりようの速さは過去を振り返る暇さえなさそうな勢いだ。変化の著しい市街地周辺の中のひとつにニャーツがある。旧宮古病院の北側一画はニャーツと一帯をなす復帰後にできた新興住宅地域であるが、今再び多くの住宅が立ち退きになった後に土木事業が進められている
▼昭和の中ごろまでニャーツは市街地から遠く離れた畑や原野の広がる中で農家が点在する小さな村であったが今ではすっかり都市化して、そこに住む人々は多様化した
▼旧来の宮古島は島全体に小さな集落=部落が散在していてどの部落にも御嶽があり地縁共同体の結束を確かめる場であったが、今では寄合ともいえる新興住宅地が旧市街地周辺に広がり、村々からは人が去って昔ながらの地縁共同体の意識が希薄になっている
▼時代とともに人々の営みも変わり共同体の態様も変わる。その変わりゆくさまはほとんど記録されることもなく記憶の彼方に消えてしまう。部落に生きた人々も忘れ去られる。寄合共同体では御嶽はほとんど意味をなさず、人が去った農村では特定の地域を除けばしきたりも受け継がれない
▼民俗学者宮本常一の著書「忘れられた日本人」の中の一文に「名倉談義」がある。愛知県北設楽(きたしたら)郡名倉村の古老たちに明治から昭和初期までの谷あいに住む人々の暮らしがどのように変わってきたかを語ってもらっている。学問があるわけでもない農家の老人たちの記憶の中の生活誌である
▼文献資料の重要なことは言うまでもないが、時代を生きた人々の記憶の世界もまた重く味わい深いものがある。昭和の宮古島の村のくらしを記憶に残せるだろうか。