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【特集】新年号
2017年1月1日(日)9:11

築90年の石垣文化/大浦集落

貴重な屋敷囲い積み/大里家の本家、管理し保存


親子連れが訪れ素晴らしい石垣文化に触れていた

親子連れが訪れ素晴らしい石垣文化に触れていた

 宮古でも過去に石造文化が出現し、巧みな石積み技術が発展を遂げた。その要因は、身近な地域に豊富な琉球石灰岩の資源があっからである。

 平良の大浦集落内に屋敷囲い石垣が保存され、訪れる人を魅了している。大里(おおざと)家の本家の石垣がそれである。

 本家近くに住む分家の大里正行さん(85)が本家を管理している。大里さんは1931(昭和6)年生まれで二男。大里さんの父は豊作(故)、祖父は豊助(故)。

 大里さんは「私が生まれていなかった昭和3年に本家の新築祝いと父が平良町議会議員に初当選したということで大きな祝いがあったそうだ。昭和3年以前に石垣は造られた聞いたことがあるが、確かな年は分からない」と語る。

 農業、政治家で活躍した豊作(1900~1962年 明治33~昭和37年)は、1918(大正7)年3月に沖縄県立水産学校を卒業した逸材である。第8回卒業生。卒業後、宮古島で代用教員として教鞭に立った。

 1928(昭和3)年7月、平良町(のちの平良市)議会議員補欠選挙で初当選。戦前・戦後を含めて町議・市議を通算7期を務める。仮に本家の新築前年に屋敷囲い石垣が造られていたならば、今年で築90年になる。

 石垣は大別して▽野面積(のづらづ)み▽相方積(あいかたづ)み▽布積(ぬのづ)みーと三つに分類される。本家の一部は諸事情によって損壊され惜しまれる。

 大里さんは「狩俣出身で間那津集落の石工が石垣を積んだという話を聞いたことがある」と話す。

 宮古本島北部に位置する間那津集落は大浦集落より北に位置し、狩俣集落から一部の住民が移り住んで形成された。優れた石積み技術を持っていたに違いない。石造歴史の一角で支えていた石工たちの技術の一端は、今も大浦集落で確認できる。


 【野面積み】 「のづらづみ」と読む。加工していない野石を積む技法。石同士がかみあっていない。

 【相方積み】 「あいかたづみ」と読む。加工した石の形が亀の甲羅の模様に見えるため別名「亀甲積(きっこうづ)み」という。1個1個の石が多角形に加工され、石同士がかみ合うように積む技法。

 【布積み】 「ぬのづみ」と読む。方形に整形した石を使い、石と石の継ぎ目が横一直線になるように水平に積む技法。宮古島では、特に城辺の比嘉集落で多く観察される。別名豆腐積みともいう。

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