「私たちの生涯は短いですが、人生は、明確な目的を持った旅に例えることができます」
沖縄国際大学名誉教授 福里盛雄
1 人生は目的を持った旅です。
今年も、多くの若者たちが進級したり、あるいは卒業した。それぞれの目的に向かって旅のスタートを始めました。それは、目的達成のための中間地点における人生の旅の始まりだと言えます。どうして、そのように言えるのだろうか。
換言すれば、人生は目的を持った旅だからです。そして、目的を達成するためには、人生の一区切り、一区切りにおいてなすべき大切なことが要求されます。
精神科専門医ポール・トゥルニエは、「人生の四季」という著書で、人生八十年を二十年ずつ四等に分類して春、夏、秋、冬とした。これは、人生の一生の区分としては、大変意味を有すると思います。この四季節には、それぞれの時期にすべき適切な行動が要求されます。これらの行為をなすには多くの困難が伴います。多くの困難を乗り越え、一心に目的に向かって、前進し続けなければなりません。よそ道にそれたり、無駄なことに時間と体力を費やしたりしてはなりません。旅路で遭遇するさまざまな困難を乗り越える方策を考え出す思考力を身に付け、その困難に耐える忍耐力を養なわなければなりません。忍耐によって練られた品性をつくり出します。旅路では多くの人と出会い、多くのコミュニケーションが交わされます。人の話に対しては静かに聴かなければなりません。それによって人の会話に静かに耳を傾ける謙遜な聞き上手な品格がつくられます。旅では多くの人の恩恵を受けます。人は一人では生きていくことができないことが分かるようになり、他人に対して感謝することを学びます。旅路で学んだ教訓は、ただ頭だけで学んだことより具体的な実体験からの習得ですから、真実にその身の一部分となります。
これまで述べてきたように、人は、旅をすることによって多くのことを学び成長していきます。そのために、かわいい子には旅をさせるようにという格言を、賢い故人たちは後輩たちのために伝承されました。
2 私たちは、どんな目的を持って地上の人生の旅をするべきでしょうか。
旅はさまざまな困難を伴うものです。その旅のさまざまな困難と戦いながら、自分に与えられている目的実現に向かって私たちは、旅を続けなければならないのが私たちの人生です。目的のない旅は羅針盤のない難破船に乗っているような人生の旅で何の意味もない空虚なものです。
私たち人間の創造者であられる神は、一定の目的を各人に与えて私たちを創造されました。つまり私たちに創造者から与えられた目的実現に向かって歩き続けるのが人間の旅であります。私たちに与えられている目的は、地上では創造者の栄光を現し、死後は魂が永遠の住み家である天国に行くことができるように資格を取ることであり、それが私たちの人生の旅の目的であります。
私たちの創造者であられるイエス・キリストは「私が道であり、真理であり、いのちである」と言われています。イエス・キリストのように生きること、これが私たちの人生の旅ではないかと考えます。巣立っていく若者たちが、すべての創造者イエス・キリストに委ね切って生きていけば、そのお導きによって、左にも曲がらず、右にも曲がらず一直線に目的に向かった旅を終えることができるのではないでしょうか。