「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。これが良い人間関係をつくる基本である」
沖縄国際大学名誉教授 福里盛雄
1 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣くとは、
人間は、生きていく過程で喜怒哀楽を体感していきます。そのために、うれしい時は心から喜び、悲しい時は涙の涸れるほど泣き深い孤独感に包まれます。考えて見れば、人生は、喜怒哀楽の変化の連続だと言えるのではないでしょうか。喜怒哀楽に適切に感情の変化をさせる人は正常な人と言えるでしょう。私たちも、他人の喜怒哀楽の情に対応した態度を表すことによって良い人間関係をつくっていきます。
他人が喜んでいるのに、自分は寂しそうな顔付きをしたりすることはその人に対して失礼であり、人が悲しくて泣いているのに、自分はうれしそうに笑っていると、そのときの雰囲気にそぐわないのです。また、その人の気持ちを理解していないことになります。
ですから、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣くためには、相手の言うことをよく聞き、相手の態度をよく観察して理解して、適切に対処しなければなりません。
相手の言うことを聞き、相手の態度を正しく観察したら、その気持ちに同情するだけでなく、共有しなければなりません。単に同情するだけでは、相手の喜びと悲しみを、相手と共にすることにはならないのです。
共有は、相手の喜び、悲しみを共感することであります。共感とは相手の喜び悲しみを自分の喜び悲しみとして感じ取ることであり、その中に自分を入り込ませることであると考えます。その喜びと悲しみの中で相手と自分を一体化させることであると考えます。
同情と共感の明確な相違を表すと思える例をあげると、ある旅人が、旅の途中、強盗に襲われ、持ち物はみんな奪い取られ、半殺しにされて、道端に放り投げられていた。その旅人は、傷だらけになり、苦しみうなっていた。先に来た人は同情心を抱きながらも、先を急いでそこを通りすぎて行った。後から来た人は、かわいそうに思い、側に駆け寄って傷に薬をつけ、自分の馬に乗せて宿屋まで連れていき、この人を介抱してください。費用の全部は私が帰りにお支払い致しますから、と頼んで出かけました。先に通った人と後から来た人との相違点は、先の人は同情はしました。後から来た人は、傷ついた旅人の苦しみに共感し、自分が強盗に傷つけられたと同じ感情を抱いたのです。換言すれば、傷ついた旅人と一体になり、傷の痛みを自分の痛みとして感じ取ったのです。同情は、相手と自分との間に距離感を置きます。共感は、相手と自分との間に距離感を持たないのです。
2 自分の喜びと悲しみが共感されると、人は生きる力を得ます。
共感されることによって、その喜びは幾倍にも広がりを持ち、悲しみは半減する。隣人他人に対してもその喜び、悲しみを分かち合い、親切な品格ある他人から親しまれる者に成長する。喜びと悲しみが共感されると、その喜びを強くし、その悲しみから解放される勇気と確信を持ちます。このように、「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」人に巡り合うことは、自分がそのまま相手に受け入れられていることを実感することになります。
自分が他人から受け入れられていると実感することは、生きていくのが楽しくなり、他人と連帯協調し、社会生活を営むことの可能性が拡大していきます。
このような人々で構成された社会は、なんと住みよい社会でしょう。そうなれば現在問題になっている「子の虐待、いじめ、自殺、不登校、引きこもり症候群」等の悲しい問題も減少することと考えます。