「730」から44年/本土復帰50年企画
一夜で交通方法変更/市内各地にも記念碑
今年は1972年5月15日に沖縄が本土に復帰して50年目の節目の年。それに伴う大きな社会変化として、ドルから円への通貨交換が行われたほか、復帰から6年後の1978年7月30日には一夜にして交通方向が右から左に変わった通称「730(ナナサンマル)」が同日の午前6時に変更された。きょう30日で変更から44年目となる。市内各地には記念碑なども残っており、いまでも復帰を象徴する存在となっており、特に今年は注目を集めている。
市熱帯植物園前にある「730」の記念の塔には「これを機会に日本一交通安全な宮古島となることを願い、この変更事業を記録する」との文言が記されている。
44年前の本紙の報道を見ると、78年7月27日の紙面では「730助っ人来島」の見出しで愛媛県警から35人、佐賀県警から36人が白バイ、パトカーとともに来島。助っ人隊として約1カ月6万郡民の命と暮らしを守るために活躍するとの記事が掲載されている。
さらに、同29日の紙面の広告では「今夜の門限は、10時です」として「きょう29日は夜10時から一般車両は通行禁止」「あす30日は、朝6時から、車は左側通行」との政府広報が1面の中央に大きく掲載されている。
そして、同30日の紙面では「混乱無く交通世替わり」の見出しで当時の状況が詳しく紹介されている。
当時の交通方法の変更作業は、29日の午後10時から8時間にわたって行われ、30日の午前5時50分までに信号機7基と道路標識2061本、3324㍍におよぶ道路表示がそれぞれ「人は右、車は左」に切り替えられたことが報じられている。
復帰から半世紀。この間、沖縄の社会はアメリカ統治の名残が消えていく中で、この「730」は県民が強く印象に残っている出来事の一つとして今も語り継がれている。