「健康の泉」と名称変え/自粛ムードも長続きせず
オトーリ廃止決議40年特集/関係者が当時振り返る
1983(昭和58)年1月14日に上野村議会臨時会でオトーリ廃止が決議されてから40年。「決議から1年ぐらいはオトーリの自粛ムードはあった。しかしその後は、『健康の泉』『コミュニケーションドリンク』などと名称を変えて回し飲みするようになった」と当時を知る人はこう語る。一時期、オトーリは減少したかに見えたが長続きはしなかった。新型コロナの影響があるものの、現在まで風習・文化として根強く残っている。
当時、上野村教育委員会職員だった新里聡さん(71)は「新型コロナウイルスの影響でオトーリを回すのはだいぶ少なくなった。コロナ禍前は、オトーリがどんどん回ってきて自分のコップを持ち上げることは全くといっていいほどなかった。回ってくるのを飲むだけで精一杯だった」と振り返った。
新里さんによると、一部地域では感染対策として、一つのグラスで回し飲みせず、自分のグラスに移して飲むというやり方もあるという。「人間はいろいろ考える。宮古ではどんな状況でもオトーリは脈々と受け継がれていくのではないか」と話した。
議会決議の翌15日は「成人の日」。当時はその日に合わせ各自治体では記念式典が開催されていた。各家庭でも二十歳の門出を祝いオトーリが回されていたという。
「しかし、その日はとても静かで、社会が変わったような気がした」と話すのは当時、同村役場職員だった我如古三雄さん(70)。議会決議後の22日、改善センター隣の広場で行われた「健全な社会秩序確立村民総決起大会」のこともよく覚えているという。
「村議や市職員、老人クラブ、婦人会、青年会、上野小・中学校PTAなど、あらゆる団体が参加していた。『生活を変えよう、環境を正そう』という雰囲気だった」と話す。パレードも実施したという。
「決議は、村民に刺激を与えたということからみれば、一定の評価は受けるべきではないか」と語った。
元助役で当時、上野小学校のPTA副会長だった垣花義一さん(74)は「立て看板も立てられ、どこにいっても慎もうという雰囲気があった。400~500人くらいの結婚披露宴でも以前は盛大に回していたが、周囲の目が気になるのかみんな遠慮していた」という。
当時村議だった砂川長一さん(83)は「議会決議後は夜のパトロールを実施し、未成年の飲酒に目を光らせた。その後、飲酒に関わる事件や事故は少なくなったと思う。ただ、オトーリがなくなったわけではなく、自粛という雰囲気だった」と回想する。
笑い話のように語り継がれている当時の村議らが「議会決議を祈念してオトーリを回します」というのは本当のことだったという。「オトーリは上野村内で回したらいけないということだった。その日は平良でお疲れさんのような宴会があった。『平良なら大丈夫』ということでオトーリを回した」と話した。