牡丹社事件「周知必要」/愛と和平の石像
下地中からカママ嶺へ移設/作家ら要請、市が応える
下地中学校に設置されている「牡丹社事件」の加害者と被害者の和解の象徴、「愛と和平」の石像がカママ嶺公園に移設される。同事件の遺族ら関係者の思いをつづったノンフィクション作家らが「もっと多くの人の目に触れさせ、歴史的背景を知らせてほしい」との要請に市が応えた。今週末にも移設作業を実施する予定だ。
移設場所は市役所や下地庁舎前の池原公園、市熱帯植物園などが候補に挙がっていたが、最終的には「他の石碑なども建立されており、多くの人が利用するカママ嶺公園が望ましい」(市教育委員会)とした。
石像をめぐっては2005年6月に台湾から訪問団が来島した際、双方が謝罪し、未来志向の友好を築いていこうと「和解」が成立。石像はこのことを記念して台湾側から寄贈された。
石像は台湾牡丹郷にある記念公園の石像のレプリカで、台座を含めた高さは約160㌢。琉球風の衣装とパイワン族の衣装を着た若者が肩を組み、二つの杯(さかずき)がつながった「連結杯」で酒を酌み交わしている。
石像は台湾の学校と交流がある下地中に設置されたが、自由に出入りすることができないため、多くの市民に知られていなかった。
このため、「牡丹社事件 日本と台湾、それぞれの和解」(集広舎)の著者で知られるノンフィクション作家の平野久美子さんが、「事件の概要を後世に正しく伝えていくためにも、誰でも気軽に足が運べる公共の場に移設することが望ましい」と市に要請。上里樹市議は市議会一般質問でたびたび取り上げ、実現を促していた経緯がある。
市教育委員会は「除幕式」などのセレモニーは行わない方針。
牡丹社事件 1871(明治4)年、宮古島民の乗った船が首里王府に年貢を納めた帰り、台風で遭難し台湾に漂着。上陸した66人が原住民族、パイワン族の集落に助けを求めたが、双方の誤解が重なり54人が殺害された。「琉球民遭難殺害事件」といわれ、台湾出兵のきっかけとなった。どちらも台湾恒春半島の「牡丹社」が舞台となったため、この二つを併せて「牡丹社事件」と呼ばれている。