風化させず教訓継承を/数字で見る台風
台風14号(マエミー)襲来から20年
2003年9月11日に台風14号(マエミー)が宮古島に襲来してから、あす11日で20年となる。死者1人、重軽傷者96人、住宅全壊18軒などの甚大な被害となり、改めて自然の驚異を思い知らされた。宮古毎日新聞社では、災害の経験を風化させることなく、次世代に教訓を継承し減災につなげるきっかけにしてもらおうと、当時を知る関係者から話を聞き、写真とともに20年前を振り返る。
宮古島は「台風銀座」と呼ばれ、2003年の14号以前にも国内の観測史上に残るような台風によって大きな被害を受けてきた。気象庁では、顕著な災害を起こした自然現象に名称を定めており、「宮古島台風(サラ)」「第2宮古島台風(コラ)」「第3宮古島台風(デラ)」の三つが命名されている。
1959年9月15日に襲来したのはサラ台風。最低気圧908ヘクトパスカルは全国2位の記録。死者7人、重軽傷者83人、住宅全壊2489軒だった。当時は木造住宅が多く、島の7割以上の住宅が損壊した。
66年9月5日のコラ台風は、最低気圧は928ヘクトパスカルだったが、最大瞬間風速は85.3メートルで全国1位、最大風速は60.8メートルで同2位の記録的な台風となった。死者はいなかったが、重軽傷者41人、住宅全壊2768軒。サトウキビの7割以上が収穫不能となる被害を受けた。
2年後の68年9月23日にはデラ台風が襲来。最低気圧は942ヘクトパスカル、最大瞬間風速は79.8メートルで全国4位相当、最大風速は54.3メートル。死者3人、重軽傷者10人、住宅全壊596軒だった。
2003年の台風14号は、最低気圧が912ヘクトパスカルで全国4位相当、最大瞬間風速は74.1メートルで同5位相当だった。重軽傷者は96人に上り、過去の3大台風よりも多かった。
暴風によって城辺中学校体育館や平良市中央公民館の屋根が吹き飛ばされた。電柱倒壊による停電が長引き、宮古空港の管制塔やごみ焼却炉なども被害を受け、住民生活に大きな影響を与えた。
甚大な被害になった理由については、住宅は強固になったが雨戸のない家が増えたこと、デラ台風以降35年間は大きな台風がなく、慣れや安心感が生まれ、対策が不十分だったことなどが挙げられている。
過去の台風被害から教訓としては▽戸や窓に雨戸を設置する▽台風に関する予備知識を持つ▽気象台からの台風情報を利用する-などが求められている。