宮古島民54人犠牲/牡丹社事件
宮岡真央子さん(福岡大教授)が講演
宮古郷土史研究会(下地和宏会長)は28日、市総合博物館研修室で臨時研究会を開いた。講師に招いた福岡大学人文学部教授の宮岡真央子さんが「『牡丹社事件』の記憶と交渉-台湾先住民の視点から」と題して講演した。宮古島民54人が台湾の牡丹社(ぼたんしゃ)という「生蕃(せいばん)」に殺害された事件で、後に琉球処分が本格化し、沖縄県が設置された。参加者らは、熱心に聞き入っていた。
宮岡さんは「1871年11月、宮古の春立船が暴風雨で台湾南端の恒春半島東南海岸(八瑤湾)へ漂着した。上陸前に3名は溺死していた。乗船員66名は山地に分け入り助けを求め、人里を見つけた。そこ(パイワンの村と推定)で水と食事を与えられて一晩を過ごした」と語った。
その上で「翌朝乗船員は村を避難(異説あり)。後を追った男たちに名が殺される。12名は漢人に救助・保護され、中国の福州経由で翌年7月に那覇へ帰還した」と話した。
さらに「歴史用語として、日本では、1871年の事件は『台湾遭害事件』『宮古島民漂流事件』などと呼ばれる。従前の歴史解釈では、日本史が初の海外派兵、日中対立摩擦の発端、海外拡張の端緒、清国・中国・台湾史が日本による侵略の端緒、海防の必要の認識、対台湾政策転換、琉球・沖縄史が日本への完全帰属化の契機(1879年琉球処分・沖縄県誕生)、国家による事件利用、生存者の救助・墳墓の造営と維持にあたった現地漢民族への感謝と友情」とそれぞれの立場を語った。