父の思い胸に非戦訴え/小川榮子さん
地域から恒久平和発信
「お父さんは人殺しだから、君たちに悲しい思いはさせたくなかった」-。これは、22日に西原公民館で行われた合同平和学習会の平和劇で演出とシナリオを担当した小川榮子さん(70)の父・嵩原速雄さんの言葉だ。戦争で戦地に赴き、つらい経験を強いられ、生きて帰ってきてからも苦悩の日々を送った。小川さんはそんな父の平和を願う気持ちと、子や孫たちに同じ苦しみを絶対にさせないとの思いで、今も「平和」と求める活動を展開している。
短大卒業後に教員となって宮古に戻った小川さん。西辺小に赴任した際に高学年を受け持ち、平和学習の授業で父の戦争体験談を活用しようと思い話を聞こうとしたが強く拒否された。
小川さんが「戦争に行った時の話を聞かせて」と何度言っても速雄さんは「絶対に嫌だ。生きている限り戦争の話はしない」と拒否し続け、この質問をする度に嫌な顔になって拒み続けた。
そんな中、小川さんが夫の転勤に伴って沖縄本島の小学校に赴任する際に速雄さんは小川さんを呼び、これまで拒否し続けてきた戦地の体験談を語り始めた。
小川さんは「その時のことを今思い出しても涙が出る」と言って、目をうるませた。
小川さんを目の前に座らせた速雄さんは「自分は人殺しだ。お父さんは人殺しだから君たちにそういう思いをさせたくなかった。だから戦争の話はしたくなかった」と、号泣しながら語り続けた。
戦地のマニラで陸軍の小さな隊の責任者となった速雄さんは、敵を欺くための作戦で多くの人が死んでいったこと。戦争の中で人を殺してしまったことなど、現地で起こったことを細かく小川さんに話して聞かせた。
その時、速雄さんは小川さんに「こうして生きているが、今でも苦しくてたまらない。うなされることもあるので戦争のことは思い出したくもない」と話しながら、娘の前で泣き崩れた。
小川さんは「その時の父の顔は絶対に忘れられない。今でも思い出すたびに涙が出る。『平和』を求めた父に対する思いもあり、今の活動を行っている」と話した。
父の思いを胸に、沖縄本島での教員生活は積極的に平和学習に取り組み、子供たちに「戦争は人が死ぬものだが、生きている人でさえもこんなに苦しんでいる」と、父の話を伝えながら、平和の大切さを伝えてきた。
そんな小川さんは11年前の定年退職とともに夫・榮一さんと宮古に戻ってきた。「西原ゆりの会」の世話役として、地域の人たちに歌の指導をしたり、童謡やヒット曲を西原の方言に変えて歌う取り組みなどを行っている。
「父は80歳で亡くなった。今でも父の話をすると、いつも厳しかった人が号泣しながら話した時の顔が浮かんでくる。子供も生まれ、そして孫も生まれた今はさらに平和への思いは強くなった。これからも『お父さん頑張るからね』の思いを胸に平和の大切さを訴えていきたい」と笑顔で話した。