「校歌遊戯」歴史探る
継承や地域性に着目/大学教授ら研究テーマに
「校歌遊戯」-。校歌に合わせ、小さな旗を持って踊る。そんな運動会の定番プログラムにスポットを当てる研究者がいる。今も旗を持って踊る子どもの姿が新鮮で、いつまでも踊りを忘れない帰属意識と地域性にもひかれるという。老若男女誰もが踊れる宮古島の校歌遊戯はどのように受け継がれてきたのか。歴史をひもとく作業が続く。
調査・研究を進めるのは帝京科学大学教授の長見真さん、仙台大学准教授の藪耕太郎さん、同大学体育学部講師の山梨雅枝さんの3人。笹川スポーツ研究助成制度を活用し、今年4月から研究に着手している。
長見さんらによると、校歌は明治30年代以降に作られ始めたという。宮古島では明治40年代に上野小や狩俣小で作られたという記録を確認している。現時点で年号記載があるのは狩俣小の1909(明治42)年とみられ、これが最も古い。
校歌と校旗が完成し、遊戯したという最初の記述は1921(大正10)年。北小学校の遊戯だが、当時旗を持っていたかどうかは確認できていない。ただ、同じ年に上野小で旗を持って踊るという記述はある。
戦後の校歌遊戯の始まりは、文献記述を前提に1953(昭和28)年の狩俣小とみられる。「3度目の校歌がつくられ、女子教員が振りを付けた」という。
校歌、旗、踊りの三つがそろったのは1966(昭和41)年に平良第一小で行われた運動会だ。この当時の子どもたちは校歌に合わせて踊り、手には日の丸の旗を手にしていた。
時期を同じくして宮古島での校歌遊戯は広がりを見せたとみられる。旗はその後、国旗から校旗や市町村旗に変わっていくが、こういった変化の歴史は時代背景と重ね合わせる作業を通して解きほぐしていく。
研究者の3人は14日夕に来島し、15日から城辺図書館で調査を始めた。過去の新聞をめくり、運動会の記事をストックしている。
宮古島市内の中学校で働く友人から校歌遊戯の話を聞いて魅了された長見さんは、「このような校歌遊戯の歴史は他にないのではないか」という。「宮古島では校歌遊戯が当たり前という学校の運動会が脈々と受け継がれている」などと話して強い関心を示した。
「歴史を知れば知るほど宮古島の人々の運動会への熱意を感じる」と話すのは藪さん。今では資料収集のとりこだが、「まだ仮説の部分が多く、決定打が打てない。写真などの資料も探したい」と引き締めた。
山梨さんは、卒業した後も校歌を大切にする大人の姿に目を見張る。成人式で校歌を歌って踊る新成人に心を打たれたといい、「大人になっても自分たちの思い出を呼び起こすように校歌を歌っている。学校への帰属意識なのだろうか。校歌が一つのツールとして機能している」と話した。
研究成果は論文としてまとめる。国際学会でも発表する予定だ。資料収集においては市民の協力を求めている。連絡は事務局を務める佐良浜中学校(78・4563)の与那覇さんまで。