組踊り 観衆魅了/多良間
華やかに八月踊り/仲筋、塩川で伝統の舞
毎年、旧暦の8月8日から3日間、開催される国指定重要無形民俗文化財である多良間の八月踊りが17日に開幕。「仲筋正日(しょうにつ)」と呼ばれる初日は仲筋地区で、「塩川正日」と呼ばれる2日目は塩川地区で行われた。出演者らは色とりどりの衣装を身に着け、三振の演奏に合わせて伝統の踊りや歌舞劇である組踊りなどを島が夜に包まれるまで踊った。最終日の19日は「別れ」と呼ばれ両地区で踊られる。
初日は仲筋地区の土原御願で、2日目は塩川地区のピトゥマタ御願で行われた。あいさつに立った仲筋字会の垣花満会長は「仲筋字では、多良間村では本当に八月踊りを楽しみにしている。踊り手はこの練習に練習を重ねてきた。どうかゆっくりと鑑賞してほしい」。塩川字会の福嶺常夫字長は「八月踊りは先人が築き上げてきた貴重な財産であり宝物。連帯の意識を強く持って継承に務めなければならないと思っている」などと語った。
八月踊りの幕開けは、仲筋、塩川のどちらも出演者全員による顔見せとなる総引きで、獅子舞の演舞で場を清めた後、出演者が舞台を一周した。
その後、仲筋では福禄寿座が、塩川では長寿の大主一行が登場しあいさつとなる口上を述べた。引き続き若衆踊りや女踊り、二才踊りと呼ばれる踊りや、曲に振りを付けて踊ったり寸劇などを披露する狂言が披露された。ユーモアあふれる寸劇が演じられると会場は笑いに包まれた。
組踊りは、仲筋では「忠臣仲宗根豊見親組」と「忠孝婦人」、塩川では「忠臣公之組」と「多田名組」という演目が行われた。
締めくくりのフィナーレでは再び総引きが行われた。長丁場の1日を踊り、演じ終えた出演者たちが登場すると、地域住民や多良間島出身者、観光客などで埋め尽くされた観客席からは、盛大で惜しみない拍手が最後まで送られた。
娘と、那覇で暮らす母親との親子3世代で鑑賞に訪れた菊地真子さん(55)=神奈川=は「八月踊りを見に来たのは今回が初めて。多良間出身の母から1度は見せたいと言われていたので今回来た。朝から夜まで、3日間も踊るパワーはすごいと思う。今後ともぜひ続けていってほしい」と語った。
八月踊りの本来の名称は「八月御願(うがん)」。毎年王府に年貢を完納したことから各御嶽で完納祝いの祭事が行われ、神前で踊りが奉納されたのが始まりとされているが、起源の年代は定かでない。1637年から宮古、八重山で課されるようになった人頭税を納め終わったことを祝うとともに、来る年の豊年を願い神前で奉納踊りを行うようになったとされている。