北と南で末長い交流を/多良間
宮古市交流団歓送迎会
【多良間】多良間村の姉妹都市、岩手県宮古市から来島している交流団の観送迎会が10日、村コミュニティー施設で開催された。村議をはじめ、これまでの交流受け入れ家庭が参加し、交流団を盛大に歓迎した。
伊良皆光夫村長(代読・本村雅則総務財政課長)は「善報丸が76日間の漂流の末、多良間島に辿りついた縁で始まった交流。子供たちが多くの体験を通して学べている。北の大地と南の島の交流が末長く続くことを願う」とあいさつした。
舞台では交流団を歓迎しようと、多良間島の伝統行事「八月踊り」の踊りや、迫力ある空手の演舞などがが披露された。
宮古市教育員会の佐々木寿洋教育長は「大震災の時の多くのご支援に感謝する。たくさんの体験ができ、一人ひとりが目標として挙げたことも達成できた」と礼を述べた。
児童生徒も一人一人が多良間島で経験したことの感想を述べた。佐藤瑠樹君(小6)は「宮古市では潜ることができない海に、多良間島で潜れたことがいい思い出になった。受け入れの一海君の家族も温かく、すぐ仲良くなれたのでとても良かった」と話した。
また小松連音馬君(中2)は「多良間島の学校に行き、たくさんの友達とコミュニケーションがとれて、とてもうれしかった。ここで体験できたことは忘れない。またいつか多良間島に来たい。すでいがぷう」と方言を交え、笑いを誘った。
宮古市交流団の余興「毛ガニ音頭・サーモンダンス」が披露され、会場に訪れた参加者も一緒に踊り、会場を盛り上げた。
宮古市と多良間村の交流は「江戸時代の1859年、岩手県宮古市の商船「善報丸」が航海中に嵐に遭い、多良間島の髙穴海岸に漂着。島民の手厚い看護を受け、乗組員らは無事に帰還したという史実が、記録された文献が1974年に発見された。これをきっかけに、78年から双方の児童生徒の交流が始まり、79年に姉妹村の締結した。