戦争の記憶伝承へ
博物館で平和展開幕
「3つの飛行場」テーマ
市総合博物館(平良恵栄館長)で24日、6月25日までの日程で平和展「戦中の宮古~造られた3つの飛行場~」が開幕した。日本軍とともに海軍飛行場設営に従事する女子挺身勤労隊のモノクロ写真や通称赤トンボと呼ばれた海軍の九三式中間練習機の模型、新資料3点などを含めた総数82点を展示。平良館長は「宮古の戦争の記憶、記録、モノを次世代に伝え残すためにも、この展示を通して、平和は何かを考える機会となれば」と述べている。6月23日の「慰霊の日」は入場無料。
この企画展は、戦中、宮古島に設営された三つの飛行場に焦点を当て、飛行場が設営された経緯や配属された部隊、学徒動員や地域住民の強制移住など、戦中の宮古について学ぶ機会とすることを目的で開催されている。今年は太平洋戦争が終結してから74年目を迎える。
宮古島には海軍飛行場、陸軍の中飛行場、西飛行場の三つが建設された。もう一つ飛行場を建設するという陸軍の計画があった。
一つ目の海軍飛行場は、1943(昭和18)年9月に現在の鏡原小学校区内の、七原、屋原、クイズの約175㌶の土地を強制的に接収。44年5月の使用可能までに設営され、現在の宮古空港滑走路の原型となった。土地所有者255人。
また二つ目の陸軍中飛行場は、下地村字野原(現在の上野字野原)の約115㌶の土地を強制的に接収し、工事は着工。青年学校生徒や中学生、学童児童、青壮年を動員し、44年10月5日に完成させた。土地所有者117人。
さらに三つ目の陸軍西飛行場は、下地村洲鎌~与那覇の約52㌶の土地を強制的に接収し、44年5月8日から設営に着手。青壮年を動員し、約5カ月後の10月5日に完成された。土地所有者68人。
太平洋戦争末期の1945年7月29日、本土出身で二十歳前後の7人は赤トンボに乗り、海軍飛行場から出撃。沖縄本島の嘉手納沖の敵艦に体当たりして戦死した。
7人は日本最後の神風特別攻撃隊・第三次龍虎隊員であった。霊を慰める慰霊之碑は平良二重越に造営されている。