「愛と平和を追求」/下地中にある石像
「牡丹社事件」和解象徴/平野さん「歴史教材で活用を」
「牡丹社事件」の加害者と被害者の和解の象徴「愛と和平の石像」をもっと多くの人に知ってもらい、宮古と台湾の歴史的、文化的教材としての活用を提案している人がいる。石像は下地中学校の一角にひっそりと建っており、説明文もなくあまり知られていない。「末永く未来志向で愛と平和を追求しようと形にしたもの。事件の概要を広く正しく伝えていくためにも、誰でも気軽に足が運べる公共の場に移設することが望ましい」と話している。
東京都出身で、アジアと日本の関係をテーマに作品を発表しているノンフィクション作家、平野久美子さんがその人。
平野さんは琉球民遭難殺害事件(1871年)と台湾出兵(74年)の二つの事件を、子孫や現地の人など関係者から取材。その記録をまとめた「牡丹社事件 マブイの行方 日本と台湾、それぞれの和解」(集広舎発行)をこのほど出版した。
本では、2005年6月に台湾からの訪問団が来島した時の行動や、当時の伊志嶺亮市長ら平良市側の対応などを詳細に伝えている。
石像は、下地中が台湾の学校と姉妹校であることや、台湾からの賓客が来校するたびに植樹をする「台湾の森」があることから贈られることになったという。
下地中に設置されているのは、台湾牡丹郷にある記念公園の石像のレプリカで、琉球風の衣装とパイワン族の衣装を着た若者が肩を組み「連結杯」で酒を飲んでいる。
平野さんは5月に宮古島市を訪れ、関係者に出版報告を行った際に下地敏彦市長と面談。「石像は和解の象徴として贈られてきた。生徒や市民の歴史教材として活用できる。台湾から来る観光客にも知ってもらえれば歴史観光スポットになるのでは」と話した。
石像については「連結杯で酒を飲むのはパイワン族の伝統的な儀式で、その時から義兄弟のちぎりを結んだことになる。どんなに争いがあっても仲良くしていこうということをモチーフにしている」と説明した。
下地市長は「すぐに(移設)する、しないということではなく(設置の経緯や歴史などを)検証していきたい」と述べた。
牡丹社事件は宮古島民の乗った船が首里王府に年貢を納めた帰り、台風で遭難し台湾に漂着。乗員69人のうち3人は水死し残り66人は原住民族、パイワン族の集落に助けを求めたが、双方の誤解が重なり54人が殺害された。
屏東県の公園内にある説明板に「武器を持った66人の成人男性が部落にやってきた」と記述されていたが、宮古の遺族らが「先祖たちが原住民から正当防衛の末に殺されても仕方ないということになる」などと訴えたことから「武器を持った66人」という記述部分は削除された経緯がある。
「牡丹社事件 マブイの行方 日本と台湾、それぞれの和解」は、ブックスきょうはん宮古南店で販売している。