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社会・全般
【行雲流水】(終末期)
宮沢賢治の没年齢は満37歳であった。肺疾患による病臥生活中に大出血を起こし、死を覚悟して詩を書いた。「どうも間もなく死にさうです けれどもなんといゝ風でせう もう清明が近いので あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに きれいな風が来るですな」(「疾中」所収「眼にて云う」)
▼死を前にしてすがすがしい覚悟というものが感じられる。そこには不安、悲哀、怒りや孤独感といった心の悩みは無い。若くして死と向き合うことになった賢治の心境は、自らの終末を意識するようになる高齢者のそれに近いものだと思える
▼高齢になると身辺整理を考え、どのような終末を迎えるかを考えるようになるがほとんどの人はそれを言葉にすることは無い。せいぜいボケたくない、寝たきりになりたくないというだけで済ましているのではないか
▼高齢者にとって死ぬことは恐怖ではなくなる。苦しみたくないだけだ。「ピンピンコロリ」を期待するのもそこにある。しかし期待通りにならないのが世の常、人の常だ
▼歳を重ねるにつれ筋力は衰え、節々は痛む。加えて物忘れはするし新しいことが覚えられなくなる。そうなってくると子や孫に面倒をかけることになると思うようになって「早くお迎えが来ないかなぁ」と言いだすようになる
▼しかし、遠くにいる孫に会いたい気持ちは抑えがたく孫に会える日が来るまで元気でいようと思ったりするのも高齢者の特徴だ。いつ死んでもいいがしばらくは生きていたい、という相反する感情を同時にもつようになるのである。いわゆるアンビバレンスの状態だ。ケア・介護する側はその複雑な感情を理解する必要がある。(凡)