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社会・全般
【行雲流水】(人権を守る靴)
宮里邦雄氏は、1958年宮古高校を卒業し、国費留学生として東京大学に進学、在学中に司法試験に合格、司法修習を経て、65年弁護士になった。そして、「社会の弱者に寄り添って活動する弁護士になりたい。働く者の人権を擁護する立場の弁護士になろう」と決意、その道をひたすら歩んできた。現在東京共同法律事務所所長として活躍、2003年から2012年まで日本労働弁護団会長を務めた
▼さまざまな弁護活動やアメリカ統治下で青春時代を過ごした歩みを通して氏が感じた平和や労働の課題について、全日本自治団体労働組合(組合員万人)の機関紙から寄稿を求められ、2019年2月から「ウチナーからヤマトへ-激動の時代を労働弁護士として生きる-」を連載している▼第1回「大阪で迎えた敗戦」、第2回「沖縄・宮古島へ引き揚げる」では、戦時体制や終戦直後の混乱期の様子が書かれている
▼沖縄については、学生時代に『沖縄評論』を創刊、沖縄の歴史研究と祖国復帰運動の理論化を行っている
▼第7回「二つの沖縄違憲訴訟」では、本土に渡航するパスポートの発給を琉球民政府長官により拒否された瀬長亀次郎を含む3人を原告とする国家賠償請求訴訟と、広島、長崎で被爆した沖縄に住む3人が治療のため支払った治療費の償還を求めた訴訟である
▼宮里氏はある小説の一節に出てくる「きっちり足に合った靴さえあれば、自分はどこまでも歩いていけるはずだ」を引用、「どうやら、労働弁護士という職業は私の足に合った靴だったようだ」と書いている。(空)