砂川さん(平良西里出身)、埼玉県副知事に
「故郷に恥じない仕事を」
【東京支社】埼玉県は27日、平良西里出身で同県下水道事業管理者の砂川裕紀さん(61)を副知事にする人事案を同県議会に提出し、即日可決された。砂川さんは、宮古毎日新聞の取材に対し「故郷の人に恥ずかしくない仕事をしたい」と意気込みを語った。
砂川さんは1958年生まれで、さいたま市在住。実家は西里大通りに面していたといい、「大自然の中でとにかく遊び回っていた」と懐かしむ。
まぶたに焼き付いているのは、海の美しさ。「近所の子供たちとしょっちゅう泳ぎに出かけ、桟橋から飛び込んだ」と語る。
平良第一小学校に5年生まで通い、1970年に家族と共に現ふじみ野市に転居した。「復帰前だったので、パスポートを持ち、予防接種を受けてから引っ越した。米軍統治下だったので、英語を使っていると勘違いされ、英語で話しかけられたこともあった」と当時を振り返る。
毎日、大自然の中で遊ぶ生活から一転、埼玉という海なし県の都会へ。環境は大きく変わったが、初めて雪を見て大はしゃぎし、さまざまな娯楽のある都会の暮らしに興味津々だったという。「性格もあるだろうが、苦労はあまり感じなかった」と語る。
故郷の良さを痛感したのは、遠足で湘南の海を訪れた時。加山雄三さんのような大スターがいる素晴らしい海だと期待を膨らませていた。ところが「わが故郷の青い海と白砂の美しさとは、段違い」で、がっかりしたという。
親戚の中で関東に家族で移り住んだのは早い方だったといい、「わが家は宮古島の出張所みたいな感じ。身内が都内に来ると、寄ったり、泊まったりしていた」と懐かしそうに話した。
1982年、埼玉県庁に入庁。公務員になったのは、かつて平良市の職員だった父親の影響もある。主に財政畑を歩み、税務局長、病院局長、企画財政部長などを務め2019年に定年退職。同年、下水道事業管理者に就いた。
宮古について、砂川さんは「私がいた頃とは比較にならないくらい発展した。西里大通りを子どもの頃は本当に大きい通りだと思っていたが、今は島内に幅の広い立派な道路が増えた」と感慨深げに語った。また、「人の温かさ、海を中心とした自然の豊かさは昔のまま」と強調した。
現在も、関東に移った親戚とは頻繁に会っており地元、宮古の親戚とも連絡を取っているという砂川さん。4月1日、同県副知事に就任する。
砂川 裕紀(すなかわ・ひろき)1958(昭和33)年5月5日生まれ。中央大法学部卒。趣味は野球やテニスなどスポーツ全般。