陣地壕の形状など説明/久貝さん山本さん 「戦争遺跡」文化講座
2020年度地域の特色ある埋蔵文化公開活用事業第1回文化講座「下地・伊良部地区の戦争遺跡」が11日、市未来創造センターであり、市教育委員会の久貝弥嗣さんが調査した来間島の山砲陣地壕(ごう)群、下地上地の宮星山の陣地壕群などについて形状などを説明した。県立博物館・美術館主任学芸員の山本正昭さんは県内の戦争遺跡の調査と保全について話した。約30人の市民が2人の説明に聞き入った。
宮星山の陣地壕群は崎田川源流域の丘陵にあり、二つの壕と四つの銃眼が確認されている。二つの壕は隣接し、一つは総延長が111メートルにも及ぶ大規模な壕。嘉手苅の一地(ピトジ)壕は入江湾東方の丘陵の急斜面に掘られており、住民の避難用と考えられている。火をたくためのかまど部分と煙突があり、炊事場跡が確認されている。若干の灰も残されている。久貝さんは「一定期間、とどまることを目的とした壕と考えられる」と説明した。
山本さんは「戦争遺跡が遺跡として認識されたのは1980年代からで、1992年に行われた南風原陸軍病院壕の発掘調査が県内で初めて。県では2000年から06年にかけて分布調査が行われ、その後、確認調査も実施された」と説明した。県内では1554件の戦争遺跡があり、市町村の文化財に指定されているものは20件で、全体の1%強ほどだという。山本さんは沖縄本島や渡嘉敷島の砲台跡、陣地壕、水際陣地、住民避難壕、石碑を紹介した。