被災者の心のケアに取り組む/東日本大震災10年
座談会で当時振り返る
甚大な被害をもたらした東日本大震災からきょう11日で10年目を迎えた。月日は流れたが、当時の被災地の光景は今も多くの人の目に焼き付いている。震災当時、宮古島市からは岩手県大船渡市に6人の保健師が派遣され、仮設住宅などで厳しい避難生活を強いられていた被災者たちの心身両面のケアに取り組んだ。その経験は市の防災面や災害対策にもしっかりと反映されている。【7面に派遣保健師らの座談会】
派遣保健師が体験語る/想像はるかに超えた被害
被災地に派遣された保健師のうち、下地正通さん、長崎利枝さん、平良礼子さんと、その時の健康増進課長の豊見山京子さんに本紙が話を聞いた。
派遣された保健師に被災地の印象を聞くと、テレビや新聞などで報道される光景と、実際に見るとでは大きく違い、はるかに想像を超えていたことなどが感想として聞かれた。
さらに、報道では伝わらない現地に立ちこめていた独特の臭いや実際に支援していく中で感じた都市部と地方とで避難所の様子が大きく異なっていたことなど、保健師たちは今でも当時の状況や風景を克明に覚えていた。
津波から逃れるために一緒に家の屋上に避難したが、妻を波に流されて失い失意の中で言葉を発することもできずに避難所で過ごしていた男性とのやりとりなど、保健師たちは被災地でのいろいろな支援を通して経験を積んだ。
保健師たちが被災地で過ごした日々と経験は、市にとって貴重な財産となり、この10年間の中で、市の防災体制や災害対応にも反映されている。
特に、1月に開庁した市の新庁舎では、福祉関係の部局をすべて1階フロアに集約。さらに、隣接する保健センターを土足禁止にしたことも、東日本大震災支援で得た経験が大きく反映されているという。
新型コロナウイルスという世界的な災いの中で迎えた10年の節目。苦しいときこそ、過去の経験を踏まえて乗り切ることが行政にも市民にも求められている。
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東日本大震災から10年。宮古毎日新聞では、被災した人や被災地支援に携わった人たちの思いなどをインタビューした。シリーズで紹介する。