宮古島にカラス戻る/大野山林に群れ確認
伊良部から新天地求め?
宮古島から一時姿を消していたカラス(ハシブトガラス)が10年ほど前から宮古島に戻り、数を増やし始めている。宮古島でカラスが目立ち始めたのは2003年前後。それまで聞かなかった鳴き声が聞こえ、大野山林に小さな群れでねぐらをつくる姿が見られるようになった。03年5月には城辺のウイピャー山でもカラスの鳴き声が確認されている。
宮古野鳥の会の久貝勝盛顧問は「宮古島で増え始めたカラスは伊良部島由来と考えるのが順当」という。伊良部島で生息域に対してカラスの個体数が増え、収容し切れずあふれた個体群は新天地を求めて宮古島に移動したようだ。
久貝顧問によると宮古島でカラスの群れが最後に目撃されたのは1975年ごろ。60年代からカラスの個体数が漸減した。大野山林ではこのころほとんど姿が見られなくなり、大野山林から移動したとみられるカラスの群れ80羽が狩俣で目撃された。その後まとまった群れは観察されていない。
カラスが宮古島から姿を消した理由は定かではないが、戦後、食料増産のため林野が開墾されたこと。また、DDTやBHCなど毒性の強い有機塩素系の農薬が使われたことで、餌となる小動物や大型昆虫の数が減少したことなどが挙げられる。
久貝顧問はこれらの餌不足と営巣場所の減少などで繁殖数が低下し、さらに農薬や殺鼠剤で死んだ小動物を食べたことによる二次被害など複合的な原因でカラスがいなくなったと推測する。
1930年代は大野山林はカラスの集団ねぐらだった。戦後、イモなどの食料増産のため、大野山林をはじめとする林野などが開墾され、イモ畑に姿を変えた。イモに食害を与えるエビガラスズメやイモヨトウなどのガが大量に発生し、当時の人たちは人海作戦でこれらの害虫を退治したという。
退治された昆虫類は雑食性のカラスにとっては重要な餌。繁殖地が開墾され、営巣場所の近くに人の出入りが増えた上、餌も減り、繁殖に大きな影響があった。
次第にその数を減らし始めたカラスは伊良部に渡り、そこで順調に生息域を広げた。伊良部の個体数が増えるにつれ新たな生息地が必要になり、宮古島に移住したとみられている。
カラスは自然界で「掃除屋」の役割を果たしている。弱ったり死んだ小動物なども食べることで、自然界をある程度きれいにする大切な役目も担っている。