文化財に大立大殿みゃーか/市教育委員会
15世紀の宮古島首長/「古墓の歴史研究で重要」
市教育委員会(宮国博委員長)は27日の定例会で、15世紀に創建されたと推定される「大立大殿(うぷだてぃうぷとぅぬ)みゃーか(巨石墓)」を市文化財(史跡)指定に承認した。15世紀後半の白川氏と忠導氏の関係や古墓の歴史を研究する上で重要な遺跡とされる。宮古島首長の大立大殿は、少年時代の仲宗根豊見親玄雅を養育したことで知られる。史跡指定は52番目で合併後初。きょう28日、市教委で文化財指定で告示される予定。
「大立大殿みゃーか」は、平良字下里108番地1に所在。マティダ市民劇場近くの交差点そばにあり、都市計画道路整備に伴い周辺をトラパーチン(大理石)で囲んだ。
土地の所有者は下里字共同組合。「みゃーか」を含む指定面積は28・94平方㍍。「みゃーか」の形状は、巨石で方形の石室(約150㌢×約240㌢、高さ約80㌢)を造り、上部に一枚の蓋石(約150㌢×約220㌢、厚さ約15㌢)を被せ、さらに石室の周囲に巨石を用いて外郭が設けられている。
大立大殿 「白川氏家譜正統」(1754年)によると、父泰川大殿と母久栄免嘉の間に生まれた。童名は真佐利。天順年間(1457~64年)に中山王から宮古島首長に命じられた。生年は不詳で1477年に没したとの見方もある。
泰川大殿の父は1390年に中山王朝に宮古では初めて朝貢した白川氏の祖、与那覇勢頭豊見親恵源とされる。大立大殿は、与那覇勢頭豊見親の孫に当たる。
『宮古島記事仕次』(1748年)によると、大立大殿は1463年ごろ、7歳の空広という少年と出会った。童名の空広は、のちの仲宗根豊見親玄雅で宮古島首長となった偉大なる人物の一人。
同仕次によると、大立大殿は、空広を連れて「白縄の慰」に行った。白綱は追い込み漁の一種。空広は、白綱で漁獲された魚を参加した人々に「魚たま(魚玉)」と称し配分した。大立大殿は、空広の速やかな配分に感動した。
仲宗根豊見親は忠導氏の祖とされ、近世期(1609~1879年)の白川氏と忠導氏は宮古の二大勢力の名門エリートとして、平良頭(位階は大首里大屋子)などで活躍した。