「ネフスキーの宮古を歩く」開催/ゆかりの地を訪ね17人が参加
生誕120年記念事業 宮古研究の要所を巡る/きょうシンポジウム
日本の言語・民俗学の研究者で、慶世村恒任、稲村賢敷など宮古研究の先学者に強い影響を与え、今日の宮古の歴史、言語、文学、民学研究の礎となったロシア生まれのニコライ・A・ネフスキー(1892~1937年)の生誕120周年記念シンポジウム(主催・同実行委員会)が、きょう23日に開かれる。シンポジウム開催に先立ち22日、ネフスキーゆかりの地を訪ね学習する「ネフスキーの宮古を歩く」が催された。同行事には17人が参加。仲宗根豊見親の墓、ネフスキーが滞在したという嘉手納旅館(現ホテル共和別館付近)など歴史研究の要所を巡り歩いた。
同行事に参加したのはネフスキー会会員や宮古郷土史研究会、宮古の自然と文化を考える会のメンバーら。一行は市平良庁舎を起点にマイクロバスで移動。県指定史跡で国の建造物文化財に指定されている仲宗根豊見親墓前で、市史編さん委員長で郷土史家の仲宗根將二氏から、同史跡の構造や、ネフスキーの著した「宮古方言ノート」などの説明を聞いた。
漲水御嶽からネフスキー通り(漲水石畳道)を歩き、ネフスキー碑の前で、柳田國男やネフスキーが来島した当時の宮古島の様子などについて仲宗根氏が解説した。仲宗根氏は「大正10(1921)年に柳田が、翌11(1922)年にネフスキーが来島したが、その当時の漲水御嶽は海そばにあり、満潮時には潮が石垣にまで達していた」と説明した。
また、埋め立てられる以前の漲水港付近の海岸は、現在の第3ふ頭辺りまで湧き水が出る場所で、昔は洗濯場として利用されていたことなどを説明した。
同行事には沖縄本島から宮古の自然と文化を考える会の7人も参加。同会の垣花豊順会長は「ネフスキーの歩いた場所を実際に訪れてみることは大変に意義のあること。仕事の現場には神がいるとの言葉があるように、現場を探訪することで、シンポジウムも充実するだろう」と話していた。
きょう23日に開催するシンポジウムは県宮古合同事務所(旧宮古支庁)2階講堂で午前時に開会する。
研究発表(午前時~正午)では▽宮川耕次氏(宮古郷土史研究会)▽上原孝三氏(沖縄文化協会)▽下地利幸氏(宮古郷土史研究会)▽かりまたしげひさ(琉球大学教授)-の4氏が行う。
與那城美和さん(市総合博物館友の会)のアトラクション「白鳥のアーグ」なども披露される。
午後からは、記念碑建立や方言ノート発行など、これまでの取り組みが報告されるほか、本永清氏(宮古の自然と文化を考える会)が「ネフスキーと宮古」と題し基調講演を行う。
引き続き「ネフスキーと宮古研究-その業績と評価をめぐって-」をテーマにしたシンポジウムが開かれる。