国際記号表記を再評価/宮古の言語・古謡に注目
ネフスキー生誕120年記念シンポ
ニコライ・A・ネフスキー(1892~1937年)生誕120年記念シンポジウム(主催・同実行委員会)が23日、市働く女性の家(ゆいみなぁ)で行われた。本永清さん(宮古の自然と文化を考える会員)は「ネフスキーと宮古」と題して基調報告。ネフスキーの著書『月と不死』に収録されている伊良部佐良浜の古謡「粟の幡種の時に謡われる歌」を紹介し、歌詞のカニ脱皮・甦生に注目した。シンポジウムでは、国際音声記号を用いた宮古方言の表記を再評価し、宮古からネフスキーの研究が進展することに期待を寄せた。
東洋言語学者のネスフキーは、1922(大正11)年、26(昭和元年)、28(同3)年に宮古に来島。伊良部島や多良間島にも渡り歴史・言語・文学・民俗の調査研究を行った。
本永さんは、「粟の幡種の時に謡われる歌」の一部とした上で、歌い出しが「栄世之迦那志」で始まる古謡を紹介した。「ネフスキーは、歌章は『一種の呪の文句と見る事が出来る』とし『即ち、蟹が永久に甦生する様は、其の年蒔いた粟も必ず枯れずに例年の通り芽生える事を祈ったのである』と結論づけている」と述べた。
佐良浜は池間添、前里添で形成され、池間島の分村。元島と称されている池間では、「栄世之迦那志!」は「ハエヨノカナス」と称し、当て字は「栄え世の加那志」としている。「ハエヨノカナス」は、砂浜で生活しているハイミャ(和名ツノメガニ)のこと。
シンポジウムのテーマは「ネフスキーと宮古研究-その業績と評価をめぐって」。座長は上原孝三さん(沖縄文化協会員)、シンポジストは下地和宏さん(宮古郷土史研究会員)、かりまたしげひささん(琉球大学教授)、本永清さん(宮古の自然と文化を考える会」の3人が務めた。
3人は「ネスフキーが宮古方言を国際音声記号で表したことは画期的なことであり、この国際音声記号は現在でも世界に通用する」と述べた。
また関係者の協力で発刊されたネスフキーの『宮古方言ノート』(上・下巻、方言約5000語収録)の研究が、地元宮古で進んでいないことなどが指摘された。
ネスフキーが来島した当時、郷土史家の慶世村恒任(1891~1929年)、稲村賢敷(1894~1978年)の両氏が活躍していた。ネフスキーが両氏に与えた影響の有無については、今後の研究課題とした。