宮古出身初の大臣/下地幹郎氏
県関係・選出では3人目
野田改造内閣で郵政民営化担当相に起用された下地幹郎氏(51)は宮古出身者では初の大臣に就任した。県選出・出身国会議員の入閣は、1991年に沖縄開発庁長官に就任した伊江朝雄氏、93年に同長官に就任した上原康助氏以来3人目となる。沖縄担当相以外の入閣は下地氏が初めて。第14、15代平良市長を務めた下地米一氏の次男で兄は大米建設社長の米蔵氏。
選出区の衆院沖縄第1区では郷友会を中心にした支持基盤を持つ。比例当選を含め4回の衆院当選の経験がある。96年に自民党から出馬し初当選(比例)。2004年参院選で自民党の対立候補を支援するなどして離党勧告を受けたため離党し、地域政党「そうぞう」を立ち上げた。その後、国民新党入りした。
消費増税に反対した亀井静香前国民新党代表の解任劇を主導したことは記憶に新しい。政府の成長戦略には同党の主張を多く反映させた。
下地幹郎(しもじ・みきお)1961(昭和36)年8月14日生まれ。宮古島市出身。中央学院大学卒。96年衆院選(比例)初当選。経済産業政務官、党国対委員長、幹事長。衆院沖縄1区、当選4回。51歳(国民新)。