特攻隊員7人の冥福祈る/元隊員らが慰霊祭
宮古から飛び立ち米艦隊攻撃
太平洋戦争末期の1945年7月に宮古島を飛び立った最後の神風特別攻撃隊・第三次龍虎隊の慰霊祭が29日、平良二重越の慰霊の碑前で行われた。元隊員やその娘らが出席。慰霊碑に花、水、酒、線香などを添えて合掌し冥福を祈った。
第三次龍虎隊は同年7月28日に台湾から宮古島に飛来した。隊員は当時18~20歳の若者7人。
機種は、通称「赤トンボ」と呼ばれる練習用の複葉機で、翌29日の月夜に250㌔爆弾を搭載し、沖縄本島沖の米艦隊を目がけ飛び立った。
元隊員や関係者らによると、7機は米駆逐艦一隻を撃沈、3隻に損傷を与えるなど大きな戦果を挙げたという。
しかし、沖縄戦も終わり、終戦間際だったことから、この戦果はほとんど注目されなかった。
慰霊祭には、龍虎隊の指揮官、三村弘上等飛行兵曹と海軍飛行科予備練習生(予備練)で同期だった、元沖縄海軍航空隊の庭月野英樹さん(87、宮崎県)、第四次龍虎隊の隊員で、碑を建立した笹井敬三さんの長女良子さん(57、滋賀県)、当時、民間機パイロット養成機関の学生で、庭月野さんの後輩に当たる松本定幸さん(82、鹿児島県)、沖縄近海で特攻隊員の兄を亡くした栗之脇逸美さん(70、同)の4人が出席した。
追悼の言葉で庭月野さんは「この豊かで平和な現代は、かえがえのない青春を一身もって祖国同胞のために捧げた皆さんの尊い犠牲によって築かれたものである」と述べた。
当時のさまざまな思い出話を上げ「幸いにして生き残った私たちは、皆さんの懐かしい若き日の思い出を胸に、その尊い犠牲を無にしないよう残された日々を平和で礼節のある祖国の発展のために務めていきたい」と決意を示した。
笹井さんは5年前の慰霊祭以来2度目の出席。「現代の平和の礎を作ったのは、戦争で亡くなった人たちのおかげだと改めて実感した。この地で安らかに眠ってほしいと願った。父の遺志を継ぐことができて良かった」と話した。
宮古島に住み、慰霊碑周辺の雑草を除去するなど、日ごろから管理している狩俣雅夫さんも出席し、隊員らの冥福を祈った。
碑は1995年7月29日に建立され、高さは約3・5㍍。台座の石碑には建立の目的と7人の名前(三村弘、庵民男、近藤清忠、原優、佐原正二郎、松田昇三、川平誠)が刻まれている。
台座の上の長方形の石碑には「背を丸め深く倒せし操縦桿 千万無量の思い今絶つ」と弔いの言葉が刻まれている。