遺跡や名所を訪ねる/県博物館協会主催
友利で歴史ロード巡り
沖縄県博物館協会(会長・安里進県立博物館・美術館長)は6日、城辺で現地研修「NEO歴史ロード巡り」を実施した。参加者らは、友利元島遺跡から発見された990~860年前に埋葬された人骨などを写真で確認し、古琉球(1609年以前)時代の友利地区の歴史に思いを馳せていた。
参加者らが、宮古島市教育委員会がこのほど発行した「綾道砂川・友利コース」の冊子を手に遺跡・名所を巡ったのはこの日が初めて。
ガイドは、同委員会の久貝弥嗣さんと新城宗史さんの2人が務めた。
この日巡った遺跡・名所は▽友利元島遺跡▽あま井▽金志川泉▽金志川屋敷跡▽金志川御嶽▽ムトゥの祭場▽上比屋山遺跡▽砂川遠見台-の8カ所。
久貝さんは友利元島遺跡について、「1771年に発生した明和の大津波では、南海岸の集落は壊滅的な被害を受けた。宮古では、2461人が亡くなったという記録もある。大津波後、人々は坂道の上にある高台に住むようになった」と紹介した。
その上で「2012年12月から2013年1月にかけて実施された友利元島遺跡では、990~860年前に埋葬された人骨2体が発見された。新しい発見であった。遺体の側では、11世紀から13世紀に鹿児島県徳之島で焼かれたカムィヤキが初めて完全な形で発見された。完全な形は県内でも数少ない。また無土器時代の層からはシャコ貝やイノシシなどの骨が出土し、年代測定の結果、約1400~1250年前の値が得られた」と語った。
金志川御嶽前では、久貝さんは「15世紀末から16世紀初めの友利では、城辺の有力者の金志川金盛と那喜太知の兄弟が住んでいた。兄の金盛は、与那国島の遠征の帰りに多良間島で亡くなった。その後弟の那喜太知は金志川豊見親と慕われた。仲宗根豊見親の長男・仲屋金盛豊見親は金志川豊見親の威勢をねたみ、野原岳の宴に招待し、殺害させた。仲屋金盛豊見親は、琉球王府からの糾問視が来る前に自害。これを機に、宮古の豊見親の称号は廃止された」と説明した。