個人で歴史資料館開設
珍しい古い写真など展示/元教諭の小禄さんが布干堂に
宮古郷土史研究会員で元高校教諭の小禄恵良さんが、長年準備を進めてきた歴史資料館「布干堂(ヌヌドー)」が1日、平良下里の同地に開館した。宮古の歴史や民謡のことなどが、パネルに収めた昔の写真や地図、文献などを通して一目で分かるように展示。小禄さんは「足元を見つめて、宮古を好きになってもらえれば幸い。散策の折り、気軽に立ち寄って」と呼び掛けている。
個人による歴史資料館開設は、宮古では初めてという。入場は無料。月曜日以外の週6日、午前9時~午後6時まで開いている。
資料館は、布干堂岬先端の「ぶり崎」と呼ばれた所に位置し、館の南側の埋立地(駐車場)は「ぱさま」という入江だった。
玄関を入ると、「ぱさま」に停泊する帆船や海辺で遊ぶ子どもたちの大正末期の写真があり、入江の原風景が広がる。
1921(大正10)年5月20日、ぱさまに着水した水上飛行機の写真は貴重な史料。同機見学のため、城辺小の職員や児童が平良まで来たという。小禄さんは「飛行機は昔は、珍しかったんだね」と当時の世相をしのんだ。
「なりやまあやぐまつり」の紹介は、特設コーナーを設けた。「ポスターは、芸術の領域に入る」と高く評価。「友利集落の一致団結した地域活性化の取り組みは、素晴らしい。友利の元気は、ほかも見習う必要がある」と話す。宮古の誇る民謡の歌詞は、歌の情景をイメージした写真と組み合わせた。
小禄さんの同期生で、西原町議会議員(元議長)の前里光信さんが、第1号の入館者となった。前里さんは「宮古の歴史が一目で分かる宮古唯一の資料館。子どもたちは、地域の歴史を知り誇りを持つことで大きく育つ」と資料館の意義を強調した。
資料館の側には、幼少のころの空広(後の仲宗根豊見親)を育てた大立大殿のミャーカ(巨石墓)がある。資料館の場所は、ミャーカの側にとの思いもあり選んだという。