「最後の特攻隊」を本に/直木賞作家古川薫氏が来島
直木賞作家の古川薫氏(88)が、最後の神風特別攻撃隊・第三次龍虎隊の取材のため来島した。13日には特攻隊の碑を訪れ「身の引き締まる思いがする。改めて書かなければと強く思った」と話した。関係者へのインタビューなどを続け、来夏にも「ノンフィクションのような形」で文藝春秋社から刊行される予定だ。
古川氏は戦前、戦闘機をつくる企業に入社。そこで木製の骨組に羽は布張り、通称「赤トンボ」と呼ばれる複葉の練習機の作製に携わった。
その後、新聞社勤務を経て本格的な文筆活動に入った古川氏は、1991年に「漂泊者のアリア」で第104回直木賞を受賞。以降、年齢を感じさせない旺盛な文筆活動を展開し、著書は150冊を超える。
戦記物もあるが、歴史作家としてのネームバリューが強い。宮古島市は初めて。
「赤トンボは自分が手掛けたもので、分身のようなもの。以前、特攻隊のことを随筆にしたが、読み終えて泣いた人がいると聞いたとき、これは書かなければいけないと強く思った」
第三次龍虎隊の隊員は当時18~20歳の若者7人で、太平洋戦争末期の1945年7月、250㌔爆弾を搭載し宮古島から沖縄本島沖の米艦隊を目がけ飛び立った。
元隊員や関係者らによると、7機は米駆逐艦一隻を撃沈、3隻に損傷を与えるなど大きな戦果を挙げたという。
しかし、終戦間際だったことから、この戦果はほとんど注目されなかった。
古川氏は、平良二重越にある同隊の慰霊碑の前に立ち、「木に布を張っただけの飛行機で、終戦直前に宮古島を飛び立っていった若者たちの思いを日本人に知ってもらいたい」と話した。
碑に刻まれた「背を丸め深く倒せし操縦桿(かん)千万無量の思い今絶つ」の言葉を口ずさみ、「特攻機を操縦した人でなければ詠めない言葉。最近、ゼロ戦や特攻隊が賛美されているが、それとは別の切り口で書いていきたい」と語った。