故眞栄城徳松氏の偉業たたえ
池間島に銅像建立/期成会、関係者ら集い除幕式
元平良市長(第7、8代)で宮古毎日新聞社創業者(1955年創刊)の故眞栄城徳松氏の残した偉業をたたえ、徳松氏が建設に力を注いだ池間大橋のたもとに銅像を建立し、その除幕式が19日、同氏銅像建立期成会(会長・下地義治宮古島商工会議所会頭)、行政・市議会・団体代表者、池間自治会(波平三郎会長)、親族らの関係者が集い盛大に執り行った。除幕式を前に徳松氏をしのんで1分間の黙とうがささげられた。
建立された銅像は高さ190㌢、銅像本体は真ちゅう製で台座には桜御影石を用い、池間島の土産物品店が並ぶ一角に池間大橋を背にして建てられた。
除幕式典であいさつした同期成会の下地会長は「離島の離島であるハンディを乗り越え、池間大橋建設など徳松氏が残した業績は数知れない。島の振興発展の礎を築いた同氏の銅像が建立されることで、観光客をはじめ、この地を訪れる多くの人たちに感動を与えてくれるだろう」と述べた。
来賓祝辞で下地敏彦市長は「このように池間大橋を架けようと思い立った政治家徳松氏の銅像建立は大変意義深い。島の振興発展に本当に尽力した人物だ。来年には伊良部大橋が開通するが、その根底には徳松氏のこれらの礎がある」と述べ、銅像建立を祝福した。
除幕は下地会長、下地市長、同自治会の波平会長、眞栄城徳彦市議会議長、豊見山健児宮古島観光協会会長に加え、親族を代表して徳松氏のひ孫に当たる中元蓮音(れおん)君(下地小3年)が加わった。除幕のひもが引かれると、美しい大橋を背にブロンズ色の徳松氏の銅像が現れ、集まった関係者らは大きな拍手を送っていた。
親族を代表して徳松氏の3男に当たる眞栄城忠之氏が謝辞を述べ、「草場の陰で父もきっと喜んでいることと思う」として、池間大橋建設に情熱を振り注いだ父親の日記の内容などを紹介した。
眞栄城 徳松(まえしろ・とくまつ)1911(明治44)年6月10日、旧平良町西里生まれ。28歳の若さで町議会議員に初当選。戦後は米軍占領下の沖縄苦難の時代に琉球立法院議員3期、旧平良市長2期(1963~69年)を歴任。卓越した先見性と政治力で宮古の先頭に立ち、産業・一周道路の推進、港湾・漁港整備、上水道組合設立、植物園の造成などを成し、当時、「夢物語」といわれた「池間大橋」構想を掲げ実現へと導き、宮古振興の礎を築いた。55年に宮古毎日新聞社を創設、89年1月28日に病没した。