平和の思い、次世代へ/「慰霊の日」
不戦の誓い新たに/戦没者の冥福を祈る
一般住民を含む20万人余の尊い命が失われた「沖縄戦」が終結し69年目となった23日、今年も県内各地では「慰霊の日」に伴う追悼式や慰霊祭が執り行われた。宮古島市や多良間村では旧市町村単位ごとの各地域で、遺族や住民が強い日差しの下、戦争で犠牲になった戦没者の冥福を祈った。遺族らは「不戦の誓い」を新たにし、恒久平和の思いを次世代につないだ。
平良地域遺族会(川満俊夫会長)主催の第60回戦没者追悼式は平良字下里(馬場)の慰霊之塔前で行われた。参列者は正午の時報に合わせて608柱の御霊に1分間の黙とうをささげた。
式典で川満会長は「戦争の記憶が薄れようとしている今日、日本国がたどった歴史を繰り返し学び、平和に思いをなすことは極めて重要なこと。戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、戦禍に倒れた人々を心から追悼し、世界平和と我が国の一層の発展を願う」と式辞を述べた。
追悼の言葉で下地敏彦市長は「先の大戦で豊かな島々は焦土と化し、多くの尊い命が失われた。悲しい戦争の傷跡は、今なお消えることはない。私たちは改めて戦没者の犠牲を重く受け止め、平和の誓いを新たにし、世界の恒久平和を心から願う」と述べた。
このほか、市議会の真栄城徳彦議長、県宮古事務所の安里肇所長(代読)が不戦の誓いを新たにし、宮古の地から世界に向けて恒久平和の思いを発信していくことを決意した。
式典に参列した川満会長の母、キヨさん(89)は夫恵益さんを戦争で亡くした。家族は宮崎県に疎開したが、疎開先から戻った後に夫の訃報を知らされた。
キヨさんは「知らせを聞いたとき、死んでしまいたいという気持ちになった。わずか2カ月余りの結婚生活だった。最近、中国や韓国の日本に対する出来事が盛んに報道されているが、かつて日本軍がやっていたことを繰り返しているようにも見える。戦争は、どんなことがあっても2度と起こしてはならない。元気な限り、この式典には必ず出席し、戦争の悲惨さを訴え続けていく」と話した。