「平成の五勇士」盛大に歓迎/110周年記念事業
天候悪化で漕破断念/「よく頑張った」とエール
【石垣市】久松五勇士110周年記念事業として、石垣島伊原間海岸まで100㌔余の航海を再現しようと、復元サバニに乗り込んで4日正午前に久松漁港を出港した久松青年会の下地雅也会長ら「平成の五勇士」は5日午前4時半ごろ、天候悪化のため漕破を断念した。同日午前8時ごろ、伴走船で伊野田漁港に到着、出迎えの人たちが待つ伊原間公民館に移動し、盛大な歓迎を受けた。
記念事業期成会によると、サバニは多良間を過ぎ、平久保灯台の灯りが見えるところまでは順調に進んだが、突如、雨に見舞われ、波が高くなった。船に海水が入り、操舵も難しくなったため危険と判断、救助を要請。5人が伴走船に乗り移ったところ、サバニは転覆した。(石垣海上保安部によると、サバニは同日午後1時35分ごろ、多良間島南約12㌔の海上で警戒船が発見、引き揚げ、午後3時55分現在、宮古島向け航行中)
伊原間公民館(多宇司館長)では実行委員会(根間建有会長)を立ち上げて記念事業に対応。久松五勇士顕彰碑がある公民館広場には早朝から地域住民、八重山在宮古郷友会(松原英男会長)のメンバーらが集まり、到着を待った。
航海中止にも、「よく頑張った」「ご苦労さん」とたたえた。郷友会は「ワイドー平成の五勇士アララガマ魂」と書いた横断幕を掲げて歓迎した。
こぎ手たちが到着した後、公民館広場で報告会。下地雅也会長は「大変残念な結果となったが、温かく歓迎してもらい、うれしく思う」とあいさつ。取材には「110年前の五勇士は偉大なことをした。生半可な気持ちではできない。決死の覚悟だったのだろう」と話した。
粟国恒広会長は「残念ながら平和のメッセージは届けられなかったが、5人は命がけでこいできた。午前4時35分ごろ、あっという間に雨が降り、うねりが大きくなったので、危険を察知して中止を決断した。若者たちは3月末から毎日練習してきたが、天候には勝てなかった。今後、宮古と伊原間、石垣市と交流していきたい」と語った。
根間会長は「110年前の不屈の精神を学び、後世に伝えていきたい」と決意を示した。
中山義隆石垣市長は「大変な道のりだったと思う。ハプニングがあったら、裏を返せば当時も大変厳しいものがあったということ。漕ぎ手の健闘を祝福し、敬意を表したい」、多宇館長は「荒波を乗り越えてきた5人の勇士に感動している」とそれぞれ話した。
30年前に父親の定二さんが達成した宮国広信さんは「親子2代でこぐことができてうれしかった。父ちゃんのすごさを知った」と笑顔だった。(記事、写真・八重山毎日新聞社)