先祖に思い馳せる/伊良部大橋開通1周年記念
元島の池間島巡り/分家の佐良浜住民
伊良部大橋開通1周年記念「池間ウハルズ参拝及び池間島マーイ(巡り)」(池間添老人クラブ、前里添老人クラブ、佐良浜振興会共催)がこのほど行われた。快晴の下、男女約30人が参加し、佐良浜地区の元島とされる池間島で歴史や文化について学び、先祖に思いを馳せていた。
参加者らは、元島の大主神社の分神として崇敬する佐良浜の大主神社で出発祈願。大型バス1台を貸し切り、元島に向かった。伊良部大橋や池間大橋からの美しい海の景色を満喫し、池間島の水浜広場に到着した。
講師は同島出身で宮古毎日新聞社の伊良波彌(ひろし)さんが務めた。1人ひとりが同振興会の中村雅弘会長から配布された各種文献史料ファイルを手に下車した。
伊良波さんは「この水浜広場の元の地形は砂浜。戦前まで旧15日(他地域は旧16日)や旧盆になると、佐良浜の分家の人々がそれぞれ帆掛けスゥーニ(潮舟、サバニ)でやって来て、各本家で先祖を拝んでいた。それで水浜広場は多くのスゥーニが陸揚げされ、壮観な景色だったようだ」と語った。
また「首里王府が1768年に通達した『与世山親方宮古島規模帳(よせやまおやかたきもちょう)』には、こう書かれている。訳文によると『池間村と前里村は沖縄からくり舟を買って来ると、乗り始め勝負と称して船主が神酒や酒を準備し、みそ浜に上国する者らを呼び集め祝いをするという。無益なもてなしなので禁止せよ』と説明した。
その上で「池間村という村名は17世紀の文献で見られるが、前里村は1766年に創設された。創設から2年後に先人たちは、沖縄本島からくり舟を買い入れた時は、くり舟競争をやっていたのである。『みそ浜』は水浜(地名)のことだから、目の先の海で競争していたことになる。皆さんの先祖も参加していたかもしれない。しかし、その競争は王府の命令で禁止された」と語った。
参加者らは、最高神を祭る大主神社に移動し、手を合わせて祈った。
伊良波さんは「大主と書いてウハルズと読む。1705年時点の宮古島の『御嶽由来記(うたきゆらいき)』には『池間御嶽 男神 おらせりくためなふの真主』と書かれている。池間御嶽はウハルズ御嶽のことである。人によっては『オハルズ』『うらせりくためなふの真主』と称したりしている」と疑問を投げ掛けた。
さらに「どうして呼び方が違うのか、書物を調べてみた。すると、慶世村恒任(きよむらこうにん)が昭和2年に発刊した『宮古史伝』の中に『大主(おはるず)うらせりくためなふの真主』と記されていて、それが原因ではないかと推測している。皆さん、『ウハルズ』『おらせりくためなふの真主』が正しい発音なので、それを覚えておきましょう」と話した。