島出身下川氏の作品紹介
日本アニメ100年記念勉強会/講師に市万田さん
「日本アニメ100年・下川凹天から現在まで」をテーマに市立図書館北分館は22日午後、ちょこっ図(ト)勉強会を開いた。宮古島生まれの下川凹天(しもかわ・へこてん、1892~1973年)は漫画家で日本産アニメーター第1号とされ、今年は日本でアニメーション映画が初めて公開されてから100年の節目を迎える。市民ら約20人が参加し、勉強会を通して宮古島からの人材育成の可能性について考える機会とした。
講師に那覇に住む市万田俊也さん(沖縄ゲーム企業コンソーシアム副理事)が招かれた。日本のアニメーション100年の歴史やアニメ作品などを紹介した。
市万田さんは「アニメーションの語源は、ラテン語で霊魂、魂を意味するアニマが由来といわれている。静止画像を使いそれを動いて見えるようにした物は全てアニメーションである。教科書の隅に書いて遊んだ『ぱらぱらマンガ』も立派なアニメーション」と解説した。
また「下川凹天さんが1917年にアニメを発表した以降、29年に千代紙映画社制作の『黒ニャゴ』、30年に『村祭』、35年に『のらくろ二等兵』などが発表された。56年に東映動画が設立され、年に日本初の本格的劇場アニメーション映画『白蛇伝』が公開された」と語った。
その上で「68年には日本のアニメ史上に残る大傑作と言われる『太陽の王子』が公開された。その後TVアニメの時代に移り変わっていく」と述べた。
63年には「鉄腕アトム」が放送開始され、全国の子供たちは放送時間になるとテレビにくぎ付けとなった。
市万田さんは「アニメーションは趣味としても楽しいもの。動画投稿サイト、自身のブログやHPなどでもすぐに公開できる。アニメーション作成は年齢に問わず楽しめる趣味になる」と期待を込めた。